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2018年3月 8日 (木)

ザスパクサツ群馬、闇のち「晴れ」になる?

昨年10月に自分らがブチまけた「ザスパの闇」



思い起こせば、そもそもの原点は2013年秋の「菅原氏のザスパ入り」が決まった時だった。あの時、「火中の栗を拾った人」として救世主扱いされた菅原氏だが、J2ライセンスの件の裏側や、クラブ経営の具体的改善策を打ち出す前に募金活動を始めたりと、「何が救世主だよ」と苦々しく氏のことを見ていた。しかし、植木さんよりも経営能力はあるし、何よりも地元財界との繋がりが強い人間であることから、クラブがいい方向に向かうのであれば「毒も薬になる」と考え、しばらくは様子見させてもらっていた。



 だが、徐々にやりたい放題のクラブ運営をやり始め、八角選手の件が表面化した以降、今度はサポーターとの関係性もひびが入り始め、2017年シーズンに至っては、試合会場には姿を見せない、クラブにもいるのかどうかわからない…という状況の中で、チームは開幕から連敗が続き、夏の時期を前にしてJ3降格待ったなしとなってしまう。そして連敗を重ねる中でサポーターの居残りが起こり、さらにはGMを交えたサポーターカンファレンスの開催を要求するも、両者の意見が対立したまま、結局カンファレンスが見送りとなってしまう。



 そんな状況を見て、「もう菅原にクラブを任せていては、このクラブが死ぬ」と強く思うようになった。誤解の無いように言葉を付け加えるが、個人的にはJ3降格しようがJ2に残留しようが、それはどうでもいい部分だった。カテゴリーの上か下ということ以上に、クラブとって大事なのは「地元で愛されるクラブかそうでないか?」だと思っているが、このまま菅原氏のやりたい放題が続くようであれば、完全に地元から見放されるクラブになってしまう…という危機感を強く感じたのだった。しかし、たった一人で何かをできる訳でもなく、どうすれば変えられるかのか?を悩んでいるときに、ある有力な支援者から連絡をもらった。



「市川くん、やるしかないよ…」と。



正直な話、自分一人でだったら、遠くから菅原批判しているだけの「負け犬の遠吠え」でしかなかった。だが、その時はたった一人であったものの、本当に心強い援軍を得たことで「やれるんじゃないか?」という感情が芽生えてきた。そして「ザスパを変えるため」という目的のために仲間が集まると同時に、情報も集まり始め「ここまで揃えばなんとかなる」という部分まで到達することが出来た。



 その中で、Jリーグと日本サッカー協会に集まった情報を整理したうえで、「ザスパの現状」という形で報告し、菅原氏の行動に関わる部分の調査依頼を実際に行った。ただ、その中で「壁」というものを感じたのも事実だった。Jリーグ側はその情報自体を受け取ったが、その後、あろうことか菅原氏本人に電話した上で、本人から「ない」と返答があったことをもって、「何もないそうです」とあっさり調査打ち切りとされたのである。Jリーグ側では「コンプライアンスの重視」を謳い、コンプライアンス部門を作っているにも関わらず、特に詳しい調査もしないまま、本人に電話をして終了としたのであった。ただ日本サッカー協会の方は、もう少し突っ込んだ部分まで調査をしてくれたのだが、あくまでも「犯罪に関わる部分がないと踏み込めない」というニュアンスの回答で、グレーでは罰することはできない…という感じで、サッカー協会の調査も終了していた。期待していたJリーグ、サッカー協会への調査依頼が不発に終わってしまったこともあり、次のプランをどうするか?という中で、ネット上告発と、会場でのアクションという「実行」に移るしかないという方向性に固まっていった。



 ただ、いつ実行するのか?という部分の問題もあったが、「10月17~19日のどこかで臨時で取締役会(役員会)が行われる」という情報が大きなきっかけになった。すでにその時点で「クラブ名を変えたい」「自分主導にしたい」という話が出ていたことは掴んでいたこともあり、「何かを決められてしまう前に、アクションを起こさないと手遅れになる」と考え、14日にまず自分がネット上で告発を行い、翌日の試合で「あのアクション」につながり、そしてエルゴラッソ、サッカー批評で伊藤さんによる「ザスパの闇」の告発という形に繋がっていった。そして、あの試合で見事に火をつけることはできたし、風を起こすことは出来た。しかし、このアクションにはリスクは当然ある。「この情報、どっから手に入れたんだよ?」「(情報の)ソースを出せ」「こいつまたねつ造だろ?」と案の定叩かれまくりでした。そして事情を掴み切れないライト層サポーターからも「余計なことをするな」的な批判を受けたし、「刺されないように気を付けて…」とまで本当に言われた。



 だが、このまま菅原体制を続けたままでJ3に落ちて行けば、それこそクラブが本当に潰れてしまうし、死に向かって行ってしまう。また、大学サッカー界の中で「ザスパにだけは行きたくない」という話を実際に聞いたし、群馬の高校生を含めた育成年代の選手から、ほとんど見向きもされない現状が目の前に広がっている。そしてその流れは、菅原体制になってから、より強いものになってしまったし、観客動員も成績に呼応しダウンが続いていた。そんな苦しい状況に関わらず、国体に選手を派遣し、さらにはtonan前橋への移籍を続けたが、そこにどんな強化プランがあったのだろうか?



 そして10月19日、臨時の役員会がグリーンドーム内で行われたが、その場で菅原氏は「来シーズンも引き続き、クラブ強化に当たりたい」と、続投したい意向を述べたが、その場で数名の株主(取締役)から「いつまで居座るつもりなんだ」と叱責されたが、その中の一人が、現在ザスパの会長として、経営面で奈良体制を支える遠藤氏であり、この後の11月4日、またも臨時で役員会が開催され、そこで都丸氏と菅原氏の退任、森下監督の解任が決定され、翌日にリリースされ、菅原氏は即日退任という形になった。







 だが、この決定は自分たちが求めていたものでもなかった。本来は菅原氏と、その菅原氏のやることをチェックもせず、黙認・容認し続けた都丸氏、それぞれの調査を行い事実確認を経て、正式に解任されるという形で出て行ってもらいたかったのだが、「成績不振の責任をとって」という形の辞任で菅原氏には逃げ出されてしまった。そして都丸氏も同じく解任ではなく辞任であるため、後任に関する人事権を都丸氏が持つ状態のままになってしまった。



 これは誤算でもあった。ことを起こしたときに「火をつけるだけ火をつけて置いて、まさかその先は何もない…じゃないだろうな?」という批判を受けましたが、実際に「後任に据えたい人選」は用意していた。しかし都丸氏自身は辞任ではなく、退任という形をとり、さらに「後任を決めてからの辞任」を公言したことにより、肝心の人事権を都丸氏に握られたままになってしまい、思い描いた通りに話は進まなくなる。さらに、ここまで力になってくれた一部株主の人たちにも、後任人事は「やはり地元の人であって欲しい」とういう思いを持っていた。そんな中で「次期社長に奈良先生がなる」という話が入ってきたこともあり、こうなれば「株主のみなさんと、奈良さんを信じるしかない」という方向性に固まった。



 ただその期間の中で、「僕は教師しかやってこなかったから、経営に関しては自信がない」ということと「ザスパの内情をこの目で見て驚愕してしまった」という話も入ってきたことで、どうなるんだ?と思ったし、菅原派に近いとされる新しい株主(取締役)の就任が決定的だ…という話も入ってきたことで、流れ的には再び好ましくない方向性に進みそうな時期もあったが、12月27日の臨時株主総会を迎え、そこで奈良さんの取締役入りがまず決定された。そして、株主である遠藤さんも「経営面のバックアップは随時していく」と申し出てくれたことで、奈良さん自身も腹を決めてくれた。







 こうして、ザスパは奈良体制として新しいスタートを切ることとなり、都丸体制時には切り離しをしようとしたチャレンジャーズの活動にも理解を示し、シーズンが始まってから頻繁に木村監督とも連絡を取り合い、これまで以上にトップとチャレンジャーズの交流を増やすことを約束し、さっそくトレーニングマッチや普段の練習でもチャレンジャーズの選手がトップの中に交わる姿が見られるようになった。そしてサポーターとの関わりも大きく変化を遂げようとしており、「多くの人に開かれたザスパになる」ということを、有言実行している。



 かつての植木さんも「そんなことは出来なよ」「それ誰がやるの?」「忙しいから」で、手を付けないといけない部分を野放しにしてきた。そして菅原体制時はいうに及ばず。どちらにせよ、「地元からの信頼」という部分を築けないままトップを去った、過去の体制とは違う姿を見せる奈良新体制。今ザスパに一番必要なのは、勝利、J2復帰以上に、地元から愛される、そして信頼されるクラブになること。



「強い弱いに、カテゴリーに左右されない、愛されるクラブになって欲しい。」



これが菅原氏に「No」を突きつけた自分が、クラブに求めるもの。



そして今回、ネット上、スタジアムでアクションを見守って切れたサポーター、賛同してくれたサポーター、さらに疑問をサッカー協会などにぶつけてくれた、多くの他クラブサポーターの皆様に厚く御礼申し上げます。



しかし、ここがゴールなのではありません。あくまでもザスパは「変わるきっかけ」をもらっただけの状態であり、今回の新体制への移行の是非はここから先の成果次第。そしてこのきっかけを「チャンス」にできなければ、それこそクラブは終わりを迎えてしまいます。その部分、ことを起こした一人として、肝に銘じておきたいと思います。

2016年5月 4日 (水)

フェアプレーの大切さ

昨日の町田ゼルビアvsFC岐阜であった「こんなこと」を少しお話しさせてもらいます。



後半に入って両チームとも接触プレーが増え、テレビに映らないというか、音声が拾わない部分でそれなりにバトルが起きそうな伏線がいくつかあった。そして後半30分ぐらいの時に岐阜陣内のコーナー付近に町田が攻め込んだ際に、ボールを持っていた谷澤に阿部がキッついチャージをかました。

この場面、阿部はファールを取られたが、両者が倒れた際に言い争いになり、ちょっと荒れそうな雰囲気になりましたが、そんな場面にベテランGKの高木義成選手がうまく割って入り、まずは谷澤を「まあまあ」となだめて落ち着かせ、さらに阿部にも冷静にやり切ろうと声を掛け、荒れることなくその場をうまく収めてくれた。

それにしても高木選手だが、後半開始直後のハイボール処理でガツンと体を当てられ、左太腿をかなり強打していたし、さらに町田サポからも「早く立てよ」と言う声が出る中で、彼自身だって「イラッ」となってもおかしくはなかったが、なんとか立ち上がり、手だけの動きだけではあったが、町田サポに「まあまあ、早く立つから大丈夫」と意思表示してたのは実に素晴らしいこと。

こんなことがあったら、あのファールの時点で止めに行くどころか、カッとなって走って行ってしまう選手もいるだろうが、あくまでも冷静に、フェアプレーで試合をやり切ろうとする彼の姿勢にちょっと感動。さらにゴール裏にいたボールボーイにも何度か気さくに語りかけ、「今jrユースなの?」とか話しかけていた高木選手。

ちょうど先日、カマタマーレ讃岐の北野監督が、レフリーの誰か(副審か第四審判のどちらからしい)が担架要員に向かって暴言に近い言葉を掛けたとか、そのことについて嘆いたばかりであった中での高木選手の声かけは、改めて「プロ選手は憧れの対象にならないといけない」という大事なことを示してくれたと思う。

たぶん高木選手にとって、特に気にしたことでもないだろうし、普段からやっていることなのだろうが、正直なところ、それができていない選手は多いし、フェアプレーに対しての考え方だってあいまいな選手がいることも否定できない。だからこそ、プレーは熱く、頭の中はクールで!とよく言われるのである。

「のうこうおじさん」という、ユニークなキャラとしても知られる高木選手だが、これからも自分らしいプレーを続けて欲しいし、これからプロを目指す子供たちが憧れる素晴らしい選手であり続けて欲しいと願います。そして高木選手のスタイルというものが、多くの選手に伝わって欲しいとも思います。