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2013年12月1日 - 2013年12月7日

2013年12月 3日 (火)

白井豪という生き方

突然だが、どれだけの人が「白井豪」という選手の名前をご存知であるだろうか? 彼の名がわかる人はきっと、高校サッカーを追い続けている人か、大学サッカーを良く知っている人であろう。

経歴として都立三鷹高校→早稲田大学というコースで、高校では選手権ベスト8、そして大学ではインカレ(大学選手権)制覇など、輝かしい実績を持っている。経歴だけ見ればエリート街道に見えるかも知れない。だが実際のところは、山あり谷ありの連続であったのである…

高校3年のとき、都立三鷹は選手権初出場を勝ち取り、いきなりオープニングゲームにて国立競技場で戦うという「大役」を担うこととなる。そしてこのゲームでは、雹が降り出すなど予想外の天候となり、さらには先制点を奪われるなど非常に難しい中での試合となった。だがこの試合で、後半16分、28分に立て続けにゴールを奪い、チームを逆転勝利に導いたのが白井であり、この試合で無名のサッカー選手から、一躍全国区の選手となっていった。

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このあと、2回戦では後に早稲田で共に活躍することとなる、当時2年生だった富山がいた矢板中央と戦い、さらには3回戦も勝ち抜き、予想外の健闘を見せ、チームはベスト8まで進出。さらに自身も大会優秀選手に選ばれた。

そして敗れた藤枝東戦のあと、「最初は(サッカーは)高校までと思っていたのですが、ちょっと考えちゃいますね…」と語ってくれていた白井。だが、その後の彼に待ち受けていたのは、華々しいサッカー人生ではなく「浪人」という厳しい現実だった。

彼と同級生に当たる河井(藤枝東→慶応大→現清水)、比嘉(流経柏→流経大→Fマリノス)、中里(流経柏→流経大→横浜FC)、増田(広島皆実→流経大→広島)といった逸材たちは、1年時から試合に出るなど順調な成長を見せていた。そんな中で、どこにも所属していない白井の中から、選手権直後に出た「ちょっと考えちゃいますね」という気持ちが、やや消えかけていた。

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そして選手権から1年という時間が経過してから、1年遅れで早稲田大学に入学したのだが、「ア式蹴球部」に入るのは意外な形であったのだった。本人は自分から進んで「体育会系」に入る気はなかったのだが、古賀聡監督直々の「入部要請」があり、彼は再びサッカーの第一線に戻って来たのである。

だがそこでも、彼にとって辛い時期があった。高校時代まではFWだったが、大学に入ってからは「同期」となった富山の存在などもあり、慣れない2列目にコンバートされた。また、168cmという小柄な体型故に、ケガとの戦いが必ずついて回って来たことにより、なかなかシーズンを通して納得するプレーが出来なかった。だが3年生となった2011シーズンは、年間を通じてコンスタンスに出場し、背番号もいい番号である「14」を与えられるなど、早稲田になくてはならない存在になってきた。

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しかし、4年生となった年のシーズン突入前、今度は前十字靱帯断裂という大ケガを負ってしまい、シーズン絶望かと思われた。そんな苦しすぎる現実の中で、普通に就職することも考えた。だが、「このままでは終われない」という気持ちが、彼を突き動かした。そしてシーズン後半に入って、驚異的な回復を見せた白井はついに復活を果たし、背番号「28」を背負ってピッチに帰って来た。

そして大学生活最後の大会となったインカレでは、1回戦から決勝まで、全試合において先制点をたたき出すという驚異的な決定力を見せつけ、最後の最後で最高の結果を出して学生生活に別れを告げた。

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だが、同期の富山が大宮、島田が岡山に決定する中で、大ケガのため出遅れてしまった白井は、夏場から秋にかけてJクラブでの練習にも参加できず、Jリーガーへの道は閉ざされてしまった状態にあった。しかしそんな彼のもとには、いくつかのJFLクラブからの誘いもあったのも事実。そこでやってもいいかな? という気持ちもあったのだが、せっかくの人生なのだから、チャレンジしてみたいという気持ちが勝り、彼は再び「浪人」という道を歩むこととなる。

そんな時に、栃木SCからの練習参加の話が舞い込み、願ってもないチャンスに白井は飛びついた。そして練習に参加すると、スタッフから高い評価を得て、入団間近かと思われた。だがクラブからの答えは「編成の都合上、夏まで待って欲しい」とのことだった…

非常に微妙の返答である。果たして、これを「入団内定」ととるのか? それともどうなのか… しかし、今はこのチャンスに賭けるしかない白井は、夏まで待つことに決め、そしてそれまでの間の所属先として、慣れ親しんだ「東伏見」を本拠地とする早稲田ユナイテッド(東京都1部)に籍を置くこととなった。

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そしてこの決定の裏には、かつて海外でプレーした経験だけではなく、Jリーガーを目指した経験もある今矢直城監督の存在が大きかったのである。本当なら、「夏まで」というつもりで入ったクラブ。しかし、ここで出会った今矢監督の多彩な経験、そしてサッカーを通じた人生観というものに触れた彼は、選手としてだけではなく、社会人としても大きく成長していくのであった。

だが、時間が立ってもJクラブの方からは何も連絡がない…

それもそのはずだった。クラブは夏場に入って11試合勝利なしという状態であり、そんなところ(彼の入団)まで気を掛ける余裕がなかった。そして彼を評価してくれた松田監督の退任が決定すると、その話自体も自然消滅してしまったのである。

またも不運に襲われてしまったのだが、彼には「早稲田ユナイテッド」というクラブがすでにあったため、大きなダメージとならなかった。いや、ダメージよりも、「だったら、自分も今矢さんのように海外でやってみたい」という気持ちが高まって来たのである。

そして海外のテストを受ける前に、お世話になったクラブを都リーグから「関東リーグ(2部)」に上げたい! という強い気持ちを持って、関東社会人サッカー大会に挑むこととなった。

早稲田ユナイテッドは都リーグ3位という結果を出して出場となったが、他の代表チームを破り、関東リーグ昇格(※決勝に残った2チームのみ昇格というルール)が目の前に迫った準決勝までコマを進めた。

相手は群馬県1部優勝のtonan前橋サテライト。トップチームであるtonan前橋は、関東リーグ1部に所属しており、今年は「J3」参入にも手を挙げて、いまではJ準加盟クラブの一つでもある。そしてこのサテライトチームも当然ながら、スケジュールに沿って全体練習をこなしているだけあり、出場チームの中でも高い完成度を見せていた。

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だがそんな相手に対しても、しっかり最終ラインからビルドアップして、繋いで行く姿勢を見せる早稲田ユナイテッド。また、前線の核となる白井も、時にはターゲットマンとしてボールをさばき、時にはアタッカーとしてスペースを突く鋭い動きを見せて行く。そして試合は序盤からユナイテッドペースで進み、山のようにチャンスを作り続けて行くのだが、フィニッシュの部分で正確性を欠いてしまうユナイテッドは、どうしても先制点が奪えない…

結果的に、相手のシュート数よりも3倍(15対5)の本数を放ちながらも、決定力不足が最後まで響いてしまい、内容では相手を上回ったものの、終わってみれば0-3という結果で敗れてしまい、早稲田ユナイテッドは関東リーグ昇格を逃してしまうのだった。

そして試合後、ガッカリうなだれる白井の姿がそこにあった。自分を拾ってくれ、そして成長させてくれたクラブのために、恩返しをしたいという思いが強かった。だが、自分の力だけではどうにも出来なかった事実だけが残ってしまった…

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だが翌日、勝っても何もない「3位決定戦」において、最後まで意地を見せた早稲田ユナイテッドは勝利し、3位という結果を勝ち取って、今年のラストゲームを迎えたのである。いや、何もないことはない。今年のメンバーで試合をやるラストゲーム。たとえ消化試合であろうと、ここまで一緒に戦って来た仲間のため、そしてチームのためにも負けられないという思いは強かった。

これにて、白井豪の2013シーズンは終了し、これからはオーストラリアに渡って、プロ選手へのチャレンジをつづけるとのこと。

決して恵まれた体を持つ選手ではない。そして運に恵まれているかどうかもわからない。だが、度重なるケガとの戦い、そして2度の「浪人」という苦しい思いを味わったからこそ、彼には強いメンタルが備わったのである。

これから先のチャレンジも、スムーズに行くとは限らない。また山あり谷ありかも知れないが、これまでの苦しみを考えれば、そんなことも乗り切れるのではないだろうか? 選手権で一躍知名度を上昇させた「シンデレラボーイ」の挑戦は、まだこれからも続いて行く。そしてその挑戦を今後も追い続けたいところである。

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