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2013年11月15日 (金)

長野パルセイロ、JFL初制覇

2013年11月10日、ついに長野パルセイロがJFL制覇を果たした…

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2010年の地域決勝を準優勝という結果で乗り切り、2011シーズンから戦いの場を北信越から全国リーグであるJFLに舞台を移した長野。かつて「北信越4強時代」をともに戦った松本山雅、ツエーゲン金沢と比べて1年遅れの「JFL入会」となってしまったが、初年度から立場をいきなり逆転。山雅とのダービーは1分1敗であったものの、年間順位ではその上を行く2位でフィニッシュし、その力はダテではないことをアピール。

2年目となる2012シーズンは、追う立場から「追われる立場」となり、相手からも研究されたこと、そしてアルテ高崎のリーグ退会という事態により、2試合少なかったということも重なり、勝ち点自体は初年度の63と比べて5pt下がった58で終わってしまった。しかし、結果的にはこのシーズンも2位フィニッシュと、マークされている中でもしっかり結果を出せるチームとして、成長した姿を見せることに成功した。

そんな長野だが、なぜいきなり結果が出せたのであろうか? やはりその点を考えて行くと、クラブが安易に「勝つためのサッカー」やるのではなく、「上でも通用するサッカー」の完成を、一貫指導でやって来たことが根底にあることを見逃せない。

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指導者が変われば、ガラリと変わるクラブもあるが、長野の場合は2006年からバドゥ体制をスタートさせ、途中からコーチとして加入した薩川了洋が引き継いで監督となったため、結果的にバドゥ時代の流れをそのまま引き継ぐこととなった。そして、そのサッカーの中身だが、「地域リーグ相当のサッカー」ではなく、バドゥが理想とした誰に見せても恥ずかしくない「魅力的なパスサッカー」が、この時点でスタイルとして身に付いていた。

しかし、2006年から始まった「戦国北信越」で、ライバル2チームに遅れをとってしまい、さらに地域リーグ決勝大会を前にしてやや不安定な戦いを見せていた長野。だがこの時の地域決勝レギュレーションでは、かつての大会のように「この大会だけの助っ人」を呼ぶことは出来ない。では、どうすれば不安を解消できるのか? その答えをクラブは鈴木政一という「頭脳」で補って来た。魅力的なパスサッカーは出来るようになってきた。しかし、この当時はリトリートして堅実路線のサッカーをやってくる相手に対して、打ち勝てるほどチームは熟成はしていなかった。

本番までたった2ヶ月という時間しかなかったが、大橋を見違えるようなボランチに育て上げ、これまでの「イケイケで勝ちきる」術しかなかったチームに「グループワーク、負けない戦術」をチームに植え付け、これが更なる成長へのスパイスとなって行くのであった。

さて話を今年のことに戻そう。

薩川退任からしばらく時間が経ち、後任が元徳島ヴォルティス監督の美濃部直彦氏と決まり、1月16日から新体制が本格スタートしたのだが、クラブが美濃部監督に求めたのは「結果を出しながらも、新しい『ながの』を作り、さらなる成長をさせてほしい」という、やや難しい要求が彼に課せられていた。

指揮官として、結果を出せ!というのは、ある意味難しい話でもない。ただ単に勝つだけであれば、徹底的に相手を研究してリスクを負わないサッカーをやればいいだけのこと。だが、これまで培って来た魅力的なサッカーを、さらに成長させてほしいという注文が付いて来ていたのだ。

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そんな中で美濃部監督は、攻撃的姿勢を強く打ち出した4-3-3という形をベースにチーム作りを進めて行く。また、これまではサイドバックが定位置だった有永のポテンシャルに目を付け、彼を中盤の新しいキーマンに起用するなど、開幕に照準を合わせた改革を進めて行く。

だが、シーズン突入直後の長野に合う言葉は「試行錯誤」であった。4-3-3と言っても、ボランチ2枚型ではなく、大橋をアンカーに置くワンボランチ型の超攻撃的スタイルだったのだが、攻撃的MF2枚とアンカーの距離感が上手く保てず、大橋はまったく攻撃に絡めずやや精彩を欠き、チームも勝ってはいるものの、戦略的に勝ちきったのではなく、結果的に「過去の積み重ね」だけで勝っている状態が続いた。

そして美濃部監督は早い段階でアンカーシステムに見切りをつけ、大橋ー有永のボランチコンビで中盤を固定。さらに慣れ親しんだ4-4-2システムに戻すと、チームは一気に流れを掴んで行く。そして状態が上向きになってきた前半戦の途中から、やっと美濃部カラーというものが色濃く出るようになって行くのであった。

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あくまでも攻撃はエース宇野沢が中心であるのだが、強いチームは「どこからでも点が取れる」ということを信条とする美濃部監督は、ポジションに関わらず「行けるなら行け、そして打て」ということを練習から言い続けて来た。その結果、今シーズン試合出場したフィールドプレーヤーで、得点に絡んでいないのは2人だけという数字が残るなど(※野澤も現時点では無得点だが、アシストは記録している)、美濃部流の成果がこんなところでも顔を出していた。

ここまでを見ると、美濃部流の改革とは攻撃面だけなのか? と思われてしまうが、実は一番の改善点は「守備」であったことは見逃せない。昨シーズンの1試合あたりの平均失点は1.06であったが、今シーズンは第32節時点で0.65と、大きく改善されている。これはディフェンスリーダーとして成長した大島の活躍もあるのだが、それ以上に「前からの守備」、そして「カバーとリスクマネジメント」の徹底があったことを忘れてはならない。

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第29節の町田ゼルビア戦では、おもしろいように相手のサイドプレーヤーを引きずり出して、裏のスペースを作ると、3人目の選手がそのスペースを突いて攻撃していくという形を見せた長野。攻撃という面では思い通りの場面であったのだが、今季の長野「その逆」をほとんどやらせていないところが大きなポイント。そしてその守備をやりきるにあたり、FW陣の献身的な動きを見逃すことは出来ない。前からプレスに行くことにより、相手が一度ボールを下げる。そしてボールを下げている段階で、中盤がラインを押し上げ、さらに最終ラインはパスコースを切る動きを準備(予測)していく。また、サイドなどでの守備においては、どの位置でプレッシャーをかけに行くか? 誰がフォローに入るのか? ということも、しっかり約束事を決めていたことが守備の充実に繋がって行く。

その結果として、美濃部監督はシーズンの失点率を「0.75」で抑えたいと考えていたのだが、それ以上の結果となる「0.65」という驚異的な数字を生み出し、これが1シーズンでの連続無敗記録更新(現時点で24試合)の大きな要因となっていくのであった。これまでの薩川体制時の長野は、正直に言えば勝つときと負けるときの差が大きかった。言い換えれば、いいときと悪いときの差がまだまだ大きかったし、悪い流れをどう乗り切るか? という部分がチームで補えていなかった。しかし、今の美濃部体制においては本当に隙がなく、状態が多少悪くても選手それぞれが「凌ぎ方」をしっかり身につけたと同時に、いい判断が出来るようになってきたのである。

優勝が決まったブラウブリッツ秋田戦などは、内容という観点から見れば、かなりワーストに近い内容であった。だが、試合を見ていて「負ける気がしない」というか、守備が安定しているので、少なくとも失点することはないだろうと思っていた。そしてこの試合の決勝点を挙げたのが、今季初ゴールとなったサイドバックの西口であり、ここでも美濃部監督が理想とする「どこからでも点が取れる」ということを、見事に証明した瞬間でもあった。(ただ、警告2回で退場というおまけもついたが…)

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そしてもう一つ、美濃部流の素晴らしいところとして、選手のモチベーションアップ方法の上手さと、選手起用の「妙」という部分が、シーズンを通して目についた。

どの試合においても、「勝っても負けても反省すべき点はあります。今、ウチは負けてはいませんが、だからといっておごりをもってしまっては絶対にいけません。負けていないから『いいんだ』ではなく、我々は常によりベストな状態を求めていきたい」と語り続けて来た美濃部監督。5月になってから以降、公式戦では天皇杯を含めて1敗もしていないチーム状況にありながらも、選手たちには「さらなる向上」を求め続け、さらに「これぐらいやっていれば大丈夫だろう」と、隙やおごりを見せるような態度を取った選手には厳しく接して来た。

では、なぜそこまでしてベストを求め続けるのか?

美濃部パルセイロにとって、JFLでの優勝、そして数値目標を達成することは、あくまでも通過点でしかなく、監督もクラブも目標地点を「J(J2)に上がった時に堂々と戦えるチームにすること」を目標に置いているからである。

美濃部監督は、JFLで優勝するだけであるなら、今のサッカーをやらなくても、もっと別の方法でもっと簡単に勝てる戦術はあると断言する。しかし、簡単に勝てるサッカーをここで選択したとして、そのやり方のまま上で通用する訳が無いことは徳島で指揮を執った経験上、それも熟知している。また、そんな戦術をやった上で勝利しても、見に来てくれるファンが楽しめない、そして共感を持ってくれないという考え方もあり、JFLというカテゴリーにいながらにして、常にJ2、いやJ1を意識したサッカーを目標に掲げ、選手それぞれに向上心を求めて来た。これこそが、美濃部監督の会見で頻繁に出て来たキーワードである「メンタリティ」の部分であり、こんな教えがあったからこそ、リーグだけではなく天皇杯でも快進撃を続けているのである。

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そして選手起用についてだが、かつて徳島で柿谷曜一郎を開花させたように、このクラブでも畑田と岡田を上手く競わせて、揃って見事な成長を遂げさせている。

シーズン当初、攻撃的MFの一人にとして畑田真輝の存在が大きなものと考えて来た。しかし、攻撃のセンスは高いのだが守備面での献身さがやや足らず、さらには周囲との連携も未成熟であり、一時期はスタメンを外される時期もあった。普通であれば「干された」と感じてもおかしくはなかった。そんな時に、セレッソ大阪から武者修行を兼ねて岡田武瑠がやってくると、あっという間にそのポジションに岡田が腰を据えることとなった。しかしそんな時にこそ、美濃部監督とコーチングスタッフは練習から畑田をしっかり指導し、終盤を迎えた時期から畑田の動きが見違えるようになり、再びレギュラーの座を奪い返した。

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また、カターレ富山から移籍して来た松原優吉だが、大島、川邊、西口らのデキが良く、シーズン当初はかなか出番が無かった。しかし、普段からマジメに練習に取り組む姿を見ていたスタッフは、彼を使うチャンスを探っていた。そんな時、いきなり予想外な形で出場のチャンスを与えられたのだ。

第19節の武蔵野戦、スコアレスで迎えた試合終盤、彼に最前線に立ってパワープレーの起点となれという指示のもと、ピッチに送り出された。ラストの短い時間であったため、結果は出せなかったが慣れないポジションでもしっかりファイトした姿にスタッフが手応えを感じ、そしてその後に導入となった3バックシステムではガッチリポジションを不動のものとして行くのだった。

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このように、選手をうまく競わせたり、うまく成長させる美濃部流育成術。過去にこのチームにスパイスを与えた鈴木氏とはまた違った指導法により、成長のベクトルをさらに伸ばすことになった長野。1シーズンでの総合勝ち点という面では、過去の記録である「83」という数字には到達しないが、JFLの歴史の中で、強く、そして美しいチームとして語り継がれる存在となった長野パルセイロ。

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今シーズン限りでJFLというステージを卒業することになるのだが、最高の形で最終年を迎えることが出来たと同時に、来るべき「Jリーグ」というステージに向けて、確固たる足場を作ることが出来た美濃部体制1年目。しかし、監督もクラブも「来年」のことは正直眼中には無い。あるのは「3年後」にどんなチームが完成するか? というところであるのだが、まずはその前に「J3のオリジナル11」となる長野が「J3初代王者」として、J2というカテゴリーにたどり着けるか気になるところ。

JFL初優勝の余韻は今なお残っているが、監督も選手もそれぞれ「これは通過点」と、いたって冷静であり、視線は早くも「その先」を見据えている。美濃部監督の言葉を借りれば「おごることなく、常に過去を振り返って次をさらに良くして行きたい」ということを、もっと徹底できれば、来シーズンも、おのずと結果が着いてくるはず。

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このチームの戦い、来シーズンも目が離せなくなりそうだ…

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