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2012年2月5日 - 2012年2月11日

2012年2月 6日 (月)

ミスターJFLの引退

本来なら、昨年のシーズン終了時に書いておくべき話でありましたが、タイミングを逸してしまい、こんな時期にズレこんでしまったが、今回は「ミスターJFL」の引退について書いていきたい。

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さて、表題のミスターJFLとは誰なのか? と言われれば、Honda FCの新田純也選手を指している。チーム公式HPで引退を発表していないが、昨シーズン最終戦を前にしてすでに今季(2011シーズン)限りでの引退発言をしており、2011年12月11日に都田で行われたアルテ高崎戦が現役最後の試合となった。

1997年に清水商業から本田技研に入社(入団)し、旧JFL時代から15年間ホンダ一筋を貫き通した新田。清商時代の先輩には安永聡太郎がいた。同期には現在も現役Jリーガーとしてプレーしている川島眞也がおり、さらに1年後輩には小野伸二などがいた。先輩、同期、後輩がプロに進むなかで、残念ながら彼の下にはプロクラブからのオファーはなく、地元静岡で社会人としてサッカー選手を続けることとなったのだが、背番号28番でデビューした高卒新人がこんな息の長いストライカーになるとは誰が想像しただろうか…

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1999年にJ1-J2-JFLという、現在も続く「3部体制」となり、アマチュアリーグとして再編されたカテゴリーで戦うこととなった本田技研。そしてこの年から、チームは3年目の新田に対してエースの象徴である背番号を9を与えたのであった。

かつては、ロペス・ワグナー(呂比須ワグナー)なども背負ったエース番号。そんな番号を3年目の新田が背負う事となったが、当時、本田技研サッカー部副部長だった関強史氏は「地元(静岡)出身だし、チームを背負う選手になって欲しい」という願いを込めて与えたと後に語ってくれているが、彼がエースとしての真価を発揮し始めるのは4年目の2000年シーズン。この年、初めて2ケタ出場(15試合)を記録し、ゴール数も過去最高の6得点を挙げ、新生本田技研のエースへの道の足がかりを作り、翌年の2001年シーズンに「エースの座」を揺るぎないものとしていく。

この年、27試合に出場し、チーム最多となる17得点を挙げ、チームに5年ぶりの優勝(旧JFL時代の1996年以来)という結果をもたらした新田。その後もコンスタンスに活躍を続け、Honda FCのエース、そして「顔」としてチームを牽引していく役割を担ったが、2005年シーズンは新人時代を除けば最も不本意な年となってしまい、8試合2得点という成績に終わってしまう。

実は2004年シーズン終了後に、新田に興味を示したJクラブがあったのである。

大塚製薬(現徳島ヴォルティス)、ザスパ草津の2チームがJリーグに昇格したこの年、Honda FCはシーズン途中に新田とコンビを組んでいた古橋達弥がC大阪に引き抜かれるという、予想しなかった事態が起こる。たが新田の活躍もあり、チームは最終的に草津を追い抜き2位でフィニッシュ。そして新田も古橋同様にJクラブから高い評価を受けることとなり、彼もJリーガーの一員となるかと思われた。しかし、具体的な話は結果的に進展せず、移籍は実現しなかった…

新田自身、プロへの憧れや、高いレベルでやりたいという気持ちを常に持っていた。Hondaでプレーすることに不満はない。しかし、後輩である古橋、宇留野、里見といった選手たちがHondaを離れ、プロへ挑戦していく姿に対して焦りというか迷いが生まれたのも事実であった。

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そして迎えた2005年シーズンは、思わぬケガも影響し、上記にもあるとおり自身にとって最も不本意なシーズンとなってしまったが、そんな中で部だけではなく、自分が所属する会社の部署内でも手厚いサポートを受けた事に感銘を受けた新田は、Hondaでプレーすることの喜びと「誇り」を感じるようになる。選手としては不本意だった2005年シーズンであったが、周囲のサポートが彼から「迷い」を消し去ることに繋がり、ここから彼の「全盛期」がスタートしていく。

2006年には34試合に出場し23得点を挙げて新JFL3度目の優勝に大きく貢献するだけではなく、リーグMVPも獲得し、文字通りJFLを代表する選手への成長。2007年シーズンはリーグ戦でこそ5位とやや奮わなかったものの、この年の天皇杯ではチームも自身も素晴らしい活躍を見せ、新田純也というストライカーの存在感をさらに高めていく。

2007年シーズンはJFLシードでの天皇杯出場とはならず、「静岡県代表」という位置で大会に出場したHonda FC。初戦となった2回戦のさいたまSC戦では危なげなく勝利(2-0)し、3回戦ではJ2の東京Vと対戦。ここで延長戦の末1-0で東京Vを振り切り、9年前の78回大会3回戦のジェフ市原(当時)戦以来(この時は2-0)のJリーグ勢から勝利を挙げたのである。リーグ戦では、勝ったり負けたりとやや不安定な戦いが続いたHonda FCだが、天皇杯では見違えるようなプレーを見せ、ジャイアントキリングを連発。

続く4回戦では、柏レイソルとの対戦になったが、ここでも最後まで集中を切らさず、柏を3-2で振り切り5回戦へ。そしてリーグ戦終了後に行われた5回戦・名古屋グランパスとの「F1ダービー」では、新田自身もダメ押しとなる2点目を決め、J1名古屋を相手に完勝。そして71回大会以来のベスト8進出を決めたHondaは、ユアスタにてこの年のJ1王者である鹿島アントラーズと対戦。

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この試合こそ、新JFL時代のHonda FC、そして新田純也の全盛期を表す最高の試合だったのではないだろうか…

試合は0-0のまま延長戦に突入し、「もしかして…」を予想させたが、最終的に地力に優る鹿島が最後の最後で1点を奪い、0-1で敗れてしまうことになるのだが、ベストメンバーが揃う鹿島を相手に、退場により一人少ない状況ながらも堂々と渡り合ったこの試合は、観る者に大きな感動を与えた。

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そしてこの天皇杯で大きな経験と手応えを得たHondaは、2008年シーズンで圧倒的な強さを見せつけ、リーグ最速での優勝を決め、新田自身も過去最高となる25得点を挙げて初の得点王を獲得。さらには2006年シーズンに続き、2度目のリーグMVPも獲得し、優勝、得点王、MVPとJFL三冠を独占。

決して足の速いプレーヤーではない。決してドリブル突破に優れたプレーヤーでもない。タイプ的に言えば、現在も札幌で現役を続ける中山雅史タイプのゴール前での嗅覚に優れた「ハンタータイプ」のストライカーである新田。彼に話を聞けば、決まって「清商の大滝監督からの教えである『泥臭く、貧欲にゴールを狙え』が原点です」という答えが返ってくるとおり、常に得点の臭いがするポジションに顔を出してきた新田。そして最後まで諦めずにボールを追い、最後までゴールを狙い続ける姿勢が、長年エースとしての役割を果たす原動力となりつづけたのである。

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しかし、2009年シーズン限りでHonda FC、そして新田の全盛期を指導しつづけた石橋眞和監督が退任し、大久保貴広監督が就任すると同時にチームは過渡期を迎えることとなる。新田とともにチームの全盛期を支えた石井雅之、鈴木弘大などの選手たちが現役を引退し社業に専念するなど、一時代を築いた選手たちが一線を去り、Honda FCとしては新しいチーム作りを試行錯誤しながら行うこととなる。そんなチーム状況の中で、ベテランとなった新田はチームの精神的支柱としても大きな役割を担うようなっていくのだが、ついに2011年シーズンを最後に引退を決意。

現役最後の試合となったアルテ高崎戦だが、負傷により最後までプレー出来ず、無念の途中交代となってしまったが、試合後に最後の最後までファンに挨拶をし続けた姿は、会場を訪れたファンに強い印象を残したことであろう…

現行のJFLにて13シーズンを戦い、通算で307試合出場、146得点を挙げた新田純也。
当然ながら、JFLにてこの146得点というは歴代1位の記録であり、日本サッカー界全体から考えてもJSL(日本サッカーリーグ)通算202ゴールを挙げた釜本邦茂に続き、「アマチュア選手」としては偉大な記録と言えよう。

プロになるだけが素晴らしいサッカー人生ではない。

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新田は最後の試合のあと「どんな時でも応援し続けてくれた人に心から感謝しています。本当にいいサッカー人生でした」とコメントしてくれているが、一企業のサッカー部員でも多くのファンを魅了するプレーは出来るし、心に残るプレーをすることは出来る。そして地域に子供たちから憧れる選手にもなれるのである。ミスターJFL、そしてミスターHondaである新田純也は、そのことを見事に証明して現役生活の幕を閉じたのだった。

今後は、サッカー部から距離を置き、社業に専念するとのことだが、第二の人生でも幸多きことを願いた。そして最後まで魂のこもったプレーを見せてくれた新田純也というプレーヤーを、いつまでも忘れることはないだろう。

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[新田純也 1997-2011個人成績]
1997 リーグ戦:7試合2得点
1998 データなし
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1999 リーグ戦:2試合0得点               
2000 リーグ戦:15試合6得点               
2001 リーグ戦:27試合17得点
2002 リーグ戦:17試合8得点            
2003 リーグ戦:25試合10得点            
2004 リーグ戦:25試合18得点               
2005 リーグ戦:8試合2得点/天皇杯:1試合1得点
2006 リーグ戦:34試合23得点/天皇杯:2試合0得点
2007 リーグ戦:28試合12得点/天皇杯:5試合3得点
2008 リーグ戦:33試合25得点/天皇杯:3試合0得点
2009 リーグ戦:34試合11得点/天皇杯:2試合2得点
2010 リーグ戦:30試合10得点/天皇杯:2試合2 得点
2011 リーグ戦:29試合4得点
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現行JFL通算307試合出場146得点
天皇杯通算15試合出場8得点
リーグ優勝:2001、2002、2006、2008
個人タイトル:リーグMVP(2006、2008)、得点王(2008)

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