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2012年1月14日 (土)

アルテ高崎、JFLから退会

知人からの情報で正月の時点で話は聞いていましたが、ついに「リミット」というか、発表の時が来てしまった…

で、なんの話かといえば、JFL所属のアルテ高崎がリーグから退会したという話だ。

詳細についてはJFL公式HPに掲載されているので、ここでは触れません。ただ、この短い時間(12月20〜1月9日)しかない中で、運営担当をこなしてきた新井さんと後藤監督はチームをNPO法人として、なんとか残そうと出来る限りの努力を続けてきたことだけは、多くの人に知っておいてもらいたい。

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そして10日に、キャプテンである増田清一や山田裕也、松尾昇吾、小島直希、石沢泰羅といった中心選手を含めた10人の選手の退団が発表されたが、彼らは最初からチームを去るつもりではなかったことも付け加えておきたい。退団するどころか、後藤監督からチームの状況を説明されたあと、率先してチームに残ることを表明していたのだ。

だが、あまりにも時間が短すぎたのである…

本来なら、来季の参加伺いについては9月末日までと言われており、その時点で創造学園側が「ギブアップ」をほのめかしていれば、チームを移管する時間はまだあったであろうし、選手たちも「次の活躍の場所」を見つけることは容易だったはず。だが、なぜ学園側(というか小池大哲氏)は12月という時間のない時期に話を出したのであろうか? まあ、今年度の「JFL加盟料」も、その理事会直前で支払ったし、毎年のように滞納や延滞を続けていたのだから、JFL側から「最後通達」を突きつけられても仕方がない。

結局のところ、オーナーであった大哲氏がアルテ高崎、いや、サッカーというスポーツを「お金のなる木」、もしくは学園の知名度を上げるための「広告塔」としてか考えていなかったことが悲劇を招いてしまった原因と言えるだろう。

ザスパ草津と同時にJFLに昇格したまでは良かった。だが、チームを将来的にどうするのか? という展望がほとんどないままであり、とりあえず「Jリーグを目指す」とだけ宣言。しかし、ビジョンもない、群馬県サッカー協会からの支援も取り付けられない、おまけに学園のマイナスイメージから、スポンサーにつく企業がほとんどない… そんな状況ではJリーグ準会員申請も通るはずがなかった。

そして2006年シーズンの途中、大量に選手が解雇となる「事件」が勃発。その後のアルテは転がり落ちるように転落を続け、翌年は開幕戦に勝利しただけで残り試合はまったく勝つことが出来ず、年間勝ち点がわずかに「7」という、逆の意味で記録的な数字を残してしまう。

改めて当時を振り返ってみると、2006年7月30日の佐川東京戦を前にして、大量退団(解雇)が発表されたのだが、思うような結果が出なければシーズン途中であろうと容赦なくクビという、およそ普通のクラブとは思えない仕打ちが当然のように行われ、結果がでない、周囲からクラブに対しての価値を見いだしてもらえないとわかると、最低限の支援(加盟料、移動費)だけとなり、あとはもう放置という状況が続いた。

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プロである以上、結果を出せなければ「後がない」状況となるのは仕方がないところでもある。だが、アルテの場合はやや異質(異常)なものであり、通常の契約ではありえない誓約書を書かせたり、現状で問題となっている創造学園大学の講師陣への給与未払い問題とそう変わりのない状況がそこにはあったのだ。

こうなってしまったから書くことにするが、オーナーである小池大哲氏は、アルテ高崎がJFLにいることを、自身が所有している財産の中で「価値の高いもの」と考えていた。そう、JFLというリーグはJリーグに限りなく近い場所におり、これからJリーグを目指そうとするチームに合併(もしくは譲渡)という名で高く買ってもらえるのではと考え始めていたのである。

Jリーグ入りを目指していた2006年当時、群馬県内でのJ入りが難しい状況となると、J基準を満たすスタジアムをホームとしている松本山雅に非公式ながらも合併を打診。この時だが、当然ながら山雅側から色よい返事があるわけもなく話は自然消滅。そしてシーズン途中に結果が出せなくなると、チームへの支援は大きく減少。それと比例して成績もどん底まで落ち込み、本来なら関東リーグに降格となるはずだったのだが、Jリーグに昇格していくチームが毎年のように出たため、その「空き枠」でJFLに残留。

当初はいつチームを解散させてもいい状況でもあった。しかし、毎年のようにJリーグに昇格をしていくチームが出る。そしてJリーグを目指すと明言するチームもいくつも生まれてくる。そんな状況の中で、「クラブを売り渡す」というプランを浮上させたオーナー。だが、結果的にクラブを「譲渡」するプランは最後までまとまることはなかった…

経営母体である創造学園や小池オーナーが迷走を続けるなか、成績はどん底でも奇跡的にJFL残留を続けていたアルテ高崎。選手のへの待遇面や環境はリーグで最悪と言っても間違いない状況であり、かつて所属した選手もその環境や待遇、そして連絡伝達の悪さを嘆いたものだが、それでもこのチームに多くの選手が集まったのである。

その多くの選手だが、一つでも高いカテゴリーでサッカーをしたい。このチームで活躍すれば、他のチームの監督から認められてチャンスを掴めるかも知れないという想いを秘めてアルテに集まってきた。しかし、相変わらず環境は最悪であり、現在長崎に在籍する杉山も「練習メニューとかは、無茶苦茶だしいい加減だったりで、結局は自分たちで考えたりしてやったこともありましたね」と当時を振り返る。

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だが、2009年に後藤義一氏を監督に迎えるとチームは激変。横浜FCユースで「選手育成」をこなしてきた後藤監督は、無名でもやる気のある選手たち、そして野心を持つ選手たちをうまく育て上げ、アルテは大きな変革期を迎える。昨年、今年は成績的に満足できるもではなかったが、やろうしているサッカー、そして目指す方向性は非常に志の高いものであり、このまま後藤体制が続いていけば間違いなくいいチームに化けていくはずだった。しかし、チームは最悪の形で終わりを迎えてしまったのだ。

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もう少し、早い時点でギブアップをしていればこんな事態にはならなかったであろう…

今は残された選手たち、そして後藤監督の「次」が早く見つかることを切に願いたいと思うのだが、チームの「今後」も非常に気になるところでもある。

今回の発表はあくまでもJFLから退会するというリリースだけであり、アルテ高崎が今年は関東リーグに降格して戦うのか、はたまた新体制を作って群馬県リーグに参加するのか、解散となるのは何も知らされてはいない。

1/14 18:30追記
※JFLから退会や脱退を表明した場合、当該チームが存続する時はホームタウンのある地域リーグへの降格ではなく、都道府県リーグへの降格となります。

関東リーグに関しては、今年から1部・2部、それぞれ10チーム体制となることもあり、今日・明日に市原臨海で行われる2部参入決定戦を持って参加する20チームが決定するのだが、このタイミングでアルテの退会が発表されて、はい、今年は関東リーグで戦いますという流れになることは考えにくい。(→実際には、上記にあるとおり関東リーグで戦うことはない) また、所属選手のブログ等で「解散が現実的」とも書かれていることから、下のリーグに降格してチームが存続していくことも不透明な状況である。

選手たちがほのめかしているように、解散なのか? それとも新体制を作って県リーグから再スタートを切るのか? 選手たちの動向同様に、チームがどうなっていくのかも見守っていきたい。

※本文中に出てくる「小池大哲氏」とは、創造学園大学・元理事長である、堀越哲二氏を指しております

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