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2011年11月 5日 (土)

流経大が接する三つの坂

いろいろな話の中で「人生には三つの坂がある」という例え話をする方と合うことがあります。ちなみに、三つの坂とは「上り坂、下り坂、まさか」を指すのですが、今回はこの「三つの坂」と流経大サッカー部を照らし合わせて話を進めていきたいと思いますが、まずは「坂」の前に前置き(前史)からスタートしたいと思います。

■前史
1997年まで、プリマハム土浦/水戸ホーリーホックを率いていた中野雄二氏。96年に地域リーグ決勝大会を勝ち抜きチームをJFLに昇格さたが、翌年にクラブはJリーグを目指すために別の監督(三浦俊也氏)を招聘。しかし、中野は指導者としての意欲は失せておらず、後に流通経済大学のオファーを受け8年ぶりに学生(以前は高校生→水戸短大付属高)を指導することとなる。

当時の流経大は今のような立派な施設もなく、茨城県リーグに籍を置くチームであり、とてもではないが強豪と呼べるチームではかった。だが、熱意のこもった指導が選手の心に響き、県リーグ優勝を果たし、参入決定戦にも勝利して就任一年目でチームを初の関東大学リーグ(2部)へ導いた。だが、やはり関東の壁は非常に高く、初参戦となった99年は2部最下位(8位)で終了し、再び茨城県大学リーグへ逆戻り。しかし、ここで厚い壁に跳ね返されたことが、後に「強豪」と呼ばれるチームの下地を作る大事な期間に繋がっていく。

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■上り坂
1999年に阿部吉朗、2000年に塩田仁史といった後にJリーグで活躍する選手が入学するなど、将来性の高い選手が集まるようになり、徐々にチームは力を蓄えていく。この当時、流経大に入ってきた選手も確かに将来性のある選手も少なくはなかったが、実際のところはプロに入れず、関東や関西の強豪大学にも入れなかった(推薦漏れも含む)選手の方が多かった。そんな選手たちは揃って「他校を見返したい」「なんとかプロになりたい」という想いが何よりも強かった。当時はまだ土のグラウンドだった。カテゴリーも茨城県大学リーグだった。しかし、選手は関東の舞台で再び強豪と戦いたいという想いを実現するために努力を続け、2001年秋、再び関東2部昇格を決めた。

関東リーグ復帰した2002年、この年には大学からの「ご褒美」として人工芝のグラウンドが与えられ練習環境が向上。さらには、サテライトチームであるクラブドラゴンズを立ち上げて県リーグからスタートさせた(現在は関東リーグ2部)だけではなく、2004年にはJFL昇格を賭けて地域リーグ決勝大会に挑み、見事に決勝リーグで2位に入り大学勢として静岡産業大学、国士舘大学に続く3校目のJFL入りを果たした。

2005年からトップチームが関東大学1部、2軍がJFL、3軍が関東リーグという図式を確立させ、部内競争はさらに激化。トップに入れなかった上級生や、将来性のある1年生がJFLというプロ・アマ混合リーグで試合を経験することにより飛躍的に能力を高めていき、2008、2009シーズンで関東大学リーグを連覇する原動力をここで培っていく。

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確かに、他校どころかJクラブですら羨む練習環境を持ち、大学リーグだけではなくJFLや関東リーグといった実戦の場を与えられたことが流経大の全盛期を作り出したことは否定しない。しかし、環境だけが流経大を全盛期へ導いた訳ではなく、やはり選手それぞれの努力を見逃してはならない。阿部吉朗にしても、武井択也も三門雄大なども、高校時代には特に目立つ存在ではなかった。また、一度はプロで挫折した難波宏明も、流経大での4年間が彼に輝きを取り戻させ、再びプロの世界へ活動の舞台を移していくこととなる。

エリートよりも「雑草」と呼ばれる無名の選手が多かった流経大。高校時代、大きな栄冠を勝ち取ることは無かったが、どうしても夢である「プロ」になりたいという想いだけは誰よりも強かった。このように、雑草であるからこその「ガムシャラさ」が、常勝・流経大の礎を築いたと言っても過言ではないだろう。

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■下り坂
2008、2009年と関東大学リーグで連覇を飾り、一気に大学サッカー界きっての強豪校に登り詰めた流経大。3連覇のかかった2010年は現ベガルタ仙台の武藤雄樹、水戸ホーリーホックのロメロ・フランク(大学時代はベロカル・フランク)が主力(最上級生)となってリーグ戦に挑んだが、チームは周囲の予想とは反して苦しいシーズンを迎えてしまう。

この年の4年生は首脳陣だけではなく、選手自身にも「谷間の世代」という認識があった。上級生は流経大を強豪校とする原動力となり、常に強烈な向上心と闘争心を持って後輩やチームを牽引。また後輩にあたる3年生(現4年生)は、高校時代に2冠を達成した流経柏の主力の多数が入学し、その他にも山村和也、増田卓也といった逸材が揃い、先輩を追い抜いて2、3年の時点でトップチームのレギュラーに抜擢されるなど、早い段階から将来が嘱望されていた。

強烈すぎる先輩に、高い能力と経験を持つ下級生に挟まれた昨年の4年生。開幕当初は武藤、フランクの他に何人かの4年生がいたが、次第にスタメンから人数が減っていき、最終的には上記の2人と平田達朗(現バンディオンセ加古川)の3人ぐらいしかコンスタンスにスタメン入りしなかった。上級生の少ないチームは、予想したとおり、苦しい場面で踏ん張りが効かず、一度狂ってしまったチームの歯車は最後まで完全に修正されることは無かった。

さらには、この年から流経大を強豪校に押し上げる要因の一つになっていた大学リーグとJFLの自由な入れ替えが出来なくなり、これまでのように調子のいい選手をいつでもトップに上げる、調子が下がり気味の選手を下に落とすということが、定められた登録期間でしか出来なくなったことがチームの混乱に拍車を掛けてしまう。

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そんな時、これまでのチームであれば、強烈なリーダーシップを発揮する上級生(4年生)がチームをグイグイ引っ張ってきたのだが、この年はそこで先頭に立つ選手が少なすぎたのである。エース武藤は、どちらかといえば声を出して引っ張っていくタイプではなく、黙々と練習に励み「オレの背中(姿)を見ろ」というタイプ。また、フランクは陽気な南米人(ペルー)気質のため、リーダーとして牽引するタイプではない。その他の4年生はベンチに入れたり、入れなかったりが続くなど、下級生を引っ張っていくどころか、自分のプレーで精一杯といったところで、とてもではないがチームを立て直すどころではなかったのが実情であった。

苦しい状況を最後まで脱することができず、流経大は3連覇を目指すどころか、1部昇格以来最低となってしまう9位でリーグ戦を終了。さらには、中野雄二総監督は「流経をここまで強くしてくれたのはJFLで戦えたから」とコメントし「大学リーグで4位以内を確保するよりもJFLで残留する方が大事」と明言していたが、願いは叶わずあえなく最下位で終了し、無念の関東リーグ降格となってしまった。(※3軍であるクラブドラゴンズも1部の座を守れず、関東リーグ2部に降格)

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■まさか
ここまで、流通経済大学サッカー部は順調に進化を続け、知名度のない地方大学から一気にサッカー界で知らない者がいないほどの知名度を誇るようになり、さらには「プロ養成所」とまで言われるようになった。

流経大が2度目の2部昇格を目指していた当時は、中野総監督や大平ヘッドコーチが各地の高校にスカウティングに出向いても、選手や指導者(監督)から色よい返事をもらえないこともあった。しかし、今は系列校でもある流経柏が全国的な強豪校となり、そこから毎年のように将来性の高い選手が入学(入部)し、さらには高校選手権やプリンスリーグ、全日本ユースで活躍した知名度のある選手も数多くやってくるようになり、高校時代に優勝や各年代別代表を経験している選手も部内に一気に増えてきた。

そして今年は、流経柏で全日本ユース優勝、高校選手権優勝と2冠を達成したメンバーが最上級生となり、それらのメンバーをベースに上記にもあるとおり、増田、山村といったすでに大学レベルを超越した選手を擁し、今年は「復権の年」と位置づけてチームは1月から始動し、2月に入ってからは積極的にJクラブと練習試合をこなし、調整を続けてきた流経大。

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リーグが始まっても前評判どおり勝ち点を重ね、6試合を終わったところで4勝2分と上々のスタートを切ったかに見えたのだが、6月11日、雨の駒沢で行われた専修大学戦から徐々に歯車が狂いだしてしまう。この試合、不用意な試合の入り方をしてしまい、20分を経たない時点で3点のリードを奪われ、大ピンチを迎える。結局は試合終盤、相手の足が止まったところを畳み掛けてなんとか同点に追いついてドロー(4-4)に持ち込んだが、守備の不安定さが中盤戦に入って来て見え隠れし始めてしまった。

チームの歯車が狂い始めだしたときに、ちょうどU-22代表の試合が組まれており、主力でもある3人が翌週からチームを離れることになると状況はさらに悪化。続く8節の順大戦では0-3、9節の早大戦はなんとか持ち直して1-1のドローに持ち込んだが、どうも調子を取り戻せない。その後の総理大臣杯予選は格下が相手であったこともあり無難に勝ち抜いたが、本大会では準々決勝でそれまで同じように不振に喘いでいた中大に完封負けを喫して痛い敗戦となってしまう。

シーズン当初から、総理大臣杯、リーグ、インカレの3冠を目指すと、比嘉をはじめとした多くの選手が語っていたし、中野総監督も「この年代(4年生)には(タイトルを)取らせてあげたい」と語るなど、選手にも首脳陣にも「やれる」という想いと手応えはあった。確かに、リーグ戦前期の中盤戦以降は流れが悪かった。だが、一発勝負のカップ戦ということで、気持ちをリセットして挑んだはずなのだが、準々決勝での中大戦は、これまでの中大とはまったく違うカウンター中心の戦法に後手を踏んでしまい「まさか」の敗戦。

早くも3冠の夢が消えてしまった流経大。しかし、主力数名の選手はユニバーシアード代表候補に選ばれていることもあり、休む間もなく調整が続き、最終的には増田、山村、比嘉、椎名、中里、河本の6名が代表に選出。そして代表スタッフに中野総監督、大平ヘッドコーチが選ばれていることもあり、流経大は今年の夏合宿をユニバ代表と同行する形で中国で行うことを決定。

かくして、トップチーム(大学リーグ)と流経大FC(関東リーグ1部)のメンバーもユニバ応援&合宿の旅となったのだが、結果的にこの遠征こそが今の流経大の不振を作ってしまったと言えるだろう。

どのチームにとっても、夏合宿というものはチームにとって重要な物となっている。前半戦でどんなにいい成績を残そうが、夏にしっかりとした積み重ねが出来なければ後半戦は失速してしまう。そして流経大の合宿メンバーだが、慣れない中国という地に悪戦苦闘が続く。体に合わない水に食事、用意した練習グラウンドの環境もお世辞でも良い環境とは言えず、練習試合に組んだ相手の実力がかなり適当だったりと、チーム力がアップ出来たとは言えない合宿(遠征)になってしまった。

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さらには、ユニバで優勝は勝ち取ったものの、代表選手たちには休む間もない状態が続き、帰国直後には天皇杯予選も待っているという超ハードスケジュールで疲労も極限に達してしまい、それぞれの選手がいいコンディションを維持できなくなってしまう。そんな中で9月2週目から大学リーグの後半戦がスタートするが、ここで素晴らしいスタートダッシュを飾ったのは専修大だった。前期は素晴らしい攻撃力を見せたものの、守備に難があり、まだまだ発展途上のチームという感だった。しかし、内容の濃い夏合宿を経て、天皇杯東京都予選準決勝の横河武蔵野戦で6-0と圧勝したところからチームは一気に急上昇。

それに対して流経大は、優勝を争う上でライバルとなる明大と後半戦の最初で対戦したが、完膚無きまでに叩きつぶされて大敗(0-5)。その後もまさかまさかの内容が続き、10節から16節までの成績が2勝5敗と大ブレーキ。さらには14〜16節までの3試合合計の失点数が10と守備陣が崩壊。確かに、12節の中大戦以降、山村は負傷箇所の手術を行ったため、リーグ戦を欠場しているが、それ以外のメンバーはほぼベスト。U-22代表以外でも、チームの中心選手である中里崇宏もJ2横浜FCに入団内定するなど、高いレベルの選手が揃っている。しかし、それでもチームは勝てないのである…

結局のところ、夏合宿で思うようにチーム力の底上げを図ることが出来なかったツケがここに出てきてしまっているのだ。また、負けた試合の中でも、ポゼッションでは相手を上回っていた試合もあり、選手の中では「負けた気がしていない」という気持ちも少なからずあった。このように、チーム全体の底上げ失敗と、レギュラーの中でのちょっとした気のゆるみが不振に繋がり、優勝どころか、このままでは残留争いに加わってしまうかも知れないところまで落ちてきてしまった。

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これだけのメンバーが揃いながら、今の成績は誰が予想しただろうか?

昨年のメンバーは「自分たちの代は強くはない」というやや消極的な気持ちがあり、これが最後まで抜けなかった。それに対して今年のメンバーは「絶対にやらなければいけない」という気持ちが強すぎること、そして高校時代から含めて「負け続ける」ということに不慣れでもあることが気になってしまう。

確かに合宿でのチーム底上げに失敗したが、それでも揃えている選手層は関東随一であることは間違いない。また、山村がいないから勝てないというのではなく、私は中里のコンディションが戻らないことが不振を極めている原因だと思っている。

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世間的には中里の知名度は山村に比べて全然低い。しかし、流経大にとって中里は山村以上に大きな存在でもあるのだ。何度か山村がボランチに入る試合もあったが、決していい流れを作り出せず、お世辞でも機能しているとは言い難かった。その答えとしては、今年の流経大のサッカーとは中里の動きをベースに作られているからである。だからこそ「中里の出来次第」そして「中里の存在の有無」がチームの勝敗に大きく左右しているのだ…

さて、そうは言っても今の流経大は中里も山村もいない。そんなチーム状況の中で、その代役を次世代を背負って立つ椎名伸志が担わなければいけないのだが、17節の駒大戦はやっと流経らしい形を作り出し、苦しみながらも13節以来の勝利を飾り復調の足がかりを掴んだと言えよう。

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本来は今年のチームは間違いなく優勝できる実力を持っているのだが、「まさか」が続き過ぎてしまい、なかなか泥沼から抜け切れてはいない。しかし、負けた試合において「まさか」と感じ続ける(言い続ける)ようでは目標である優勝は遠のいてしまうと言えるだろう。まさかとは気のゆるみや、そんなはずじゃない…という想いから来るものだが、結局のところは「慢心」があるからこそ出てくる言葉でもある。

やっとこれで勝ち星先行(7勝4分6敗)となり、インカレ出場権を再び射程距離に捉えたが、この日のような積極性、そして攻守にわたる集中力を持続しなければ再び泥沼に戻ってしまう可能性もある。明日リアルホーム(流経大グラウンド)で行われる慶応大学戦は非常に重要な試合となるだろう。

「まさか」という言葉を、封印出来るようになれば、間違いなく評価通りの実力を発揮できるはず。下り坂、まさかと続いてきた流経大だが、再び上り坂となっていくことを期待したい。

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