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2011年8月25日 (木)

ユニバ5回目の優勝から見る大学サッカーの裏側

中国・深センで行われていた第23回ユニバーシアード競技大会・最終日(23日)にて、日本学生代表チームは決勝戦でイギリス代表と対戦。河本明人、山村和也(ともに流経大)のゴールで2-0と勝利し、3大会ぶりり5度目の優勝を掴んだ。

なお、女子学生代表チームも21日行われた決勝戦に進出していたが、こちらは延長戦の末、中国代表に1-2と惜敗。初優勝を狙ったのだが2大会連続準優勝に終わった(通算3度目の準優勝)。

ということで、どっかのニュースをコピペしてきたのですか? という感じでユニバーシアード・サッカー競技の結果を書きましたが、何分、現地に行ってはおらず、試合も見ていないので今大会については語ることはしません。ただ、日本の「大学サッカー」という、世界的に見ても稀なカテゴリーの進化と存在感は、もっと高く評価されてもいいと思いますので、そのことについて今回は書いていきたいと思います。

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■日本サッカー・アマチュア時代
日本サッカー界がまだアマチュアだった時代(~1991年)は、将来を嘱望される高校生の進路は大学に行くというパターンが多くを占めていた。また、この当時は日本サッカー協会が主導するトレセン制度も現在のような確固たる形で行われてはおらず、読売クラブ(現東京ヴェルディ)のような、育成組織を持つクラブチームの存在が珍しい時代でもあり、ユース年代の育成・強化はもっぱら高校、大学の「部活動」が大きな部分を担っていた。

そんな時代背景もあり、将来を嘱望された選手は、部活動顧問の出身校であったり、知り合いの指導者がいる大学へ進学するという流れが自然なものでもあった(当然ながら、その流れは今でも存在してる)。

しかし、1980年代後半は日本サッカーにおいて「冬の時代」でもあった。日本代表というか、日本サッカー界はプロ化した韓国に大きく差を引き離され、サッカーの人気自体も停滞したままであった。当時、日本の最高峰リーグであったJSL(日本サッカーリーグ)1部でも、招待券を5万枚以上配布しても国立競技場に1万人集めることが難しかった(※古河電工主催試合では招待券10万枚配布したということもあった)。そんな状況の中であるからこそ、大学サッカー(ここでは関東だけに絞ります)も同様に人気はジリ貧状態が続いていた。

リーグ開催もやっと…という厳しい経済状況となっていた大学サッカー界だが、1989年からJR東日本がスポンサーとしてリーグを支援してくれたことにより、伝統ある大会は装いを新たに再スタートを切ったのだが、今度は別の要因により厳しい状況を迎えてしまう。

■プロ元年を迎えて
27年間続いた「日本サッカーリーグ」が1991-92シーズンで幕を閉じ、ついに「プロ元年」を迎えた日本サッカー界。さらにこの年(1992年)の8月に北京で行われたダイナスティカップにて、日本代表が国外大会にて初優勝を飾り、プレ・Jリーグとなる第1回のヤマザキナビスコカップも開催され、これまでには考えられなかった「サッカーブーム(Jリーグブーム)」が巻き起こることとなる。

このように、状況が激変した日本サッカー界。93年から正式にスタートしたJリーグは人気を伸ばす中で、高校生の進路も大きく様変わりし、卒業後にプロの門を叩く者が一気に増加し、将来を嘱望される選手にとって「大学の4年間」は遠回りであるという考え方も大きくなっていく。さらには、「プロになりたい」という気持ちから、大学を中退してプロ生活を選ぶ選手まで現れ出す。それと同時に、大学サッカー界でのスター選手の存在が減少し、一時は大学リーグの存在意義とはなんなのか? とまで言われることすらあった。

Jリーグ発足は、サッカーにこれまで興味の無かった層まで巻き込んでブームとなり、高校サッカーに関しても、Jリーグほどのブームではないものの、安定した人気をキープしていたのだが、大学サッカーは相変わらず脚光を浴びることは少なかった。だが、そんなマイナーな存在に追いやられていた大学サッカーが、脚光を浴びるどころか日本サッカー界に大きな「第一歩」を残すこととなる。

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1995年にユニバーシアードが自国開催(福岡)されたのだが、この大会で日本チームは決勝で韓国を2-0と下し、日本サッカー界として、あらゆる世界大会にて初めて優勝という結果を残したのである。その時のメンバーには、現在SC相模原の代表でもある望月重良をはじめ、斉藤俊秀、寺田周平、山田卓也など、日本代表経験者も含まれていた。そして望月は、後に「大会で勝ちたい(優勝したい)ということは当然でしたが、それ以上にプロで活躍している同世代の選手に負けたくなかった。だからこそ結果が欲しかったんですよね」と語ってくれている。

このように、大学サッカーは脚光を浴びることは少なかったものの、プロ化が日本サッカー界に導入された影響を受け、人気面は別として、実力という部分では着実にレベルアップを果たしていた。

■転機
このユニバーシアードの優勝から、日本チームは2大会連続で結果を残すことは出来なかった。しかし、2001年に行われた北京大会、03年の大邱大会、05年のイズミル大会と3大会連続で優勝を果たし、日本の大学サッカー界は21世紀に入ると、まさに「新世代」を迎えることとなる。

さて、ユニバーシアード大会でなぜ日本は強さを発揮できたのか?

その点を考えてみたいのだが、日本よりレベルの高い国(イタリア、ドイツ、ブラジル、スペインなど)も、この大会に出場しているのだが、日本のような結果を残していない。その点については、強豪国と呼ばれる国々では、有力選手のほとんどはユース年代でトップクラブに活躍の場を移すこともあり、大学でプレーする選手は多くはない。さらには、各国の協会が「大学サッカー」「ユニバーシアード」という存在に重要度を感じていないという現実もあった。

それに対して、日本サッカー界は、Jリーグ、そして日本代表を頂点としたサッカーピラミッドの中で、どのカテゴリーでも世界と対等に戦い、そして勝てるチーム、勝てる選手を育成しようというプロジェクトがしっかり作り上げられ、それが3連覇に結びついていった。

しかし、サッカー協会や大学サッカー連盟がいくら強化プランを進めたからと言っても、それで3連覇出来るほど大会は甘くはない。では、それ以外の部分で大学サッカー界にどんな変化があったのだろうか?

Jリーグ発足当時は「プロ」という言葉に惹かれ、多くの高卒新人選手を生み出したが、その中で満足な成績を残し、中心選手として活躍できた選手は実際にはそれほど多くはない。そんな夢やぶれてしまった選手たちにとって、サッカー以外のことについての知識は乏しく、プロを引退した後の「第二の人生」は楽なものではなかった。

日本という国(社会)は、他の先進国に比べ、やはり「学歴」というものが今なお重要性を持っている国でもある。サッカーだけに打ち込み、高校を卒業してプロの世界に入った選手たちにとって、プロという肩書きが無くなってしまったときに、「大卒」という肩書きの重要性を初めて知る人も多いという。

また、Jリーグブームが過ぎ去り、リーグの観客動員、チームそれぞれの収入も減少し、人気を誇るチーム以外では選手保有数を減らしたり、選手の年俸を下げるなどしてクラブ経営をやりくりする時代を迎えていた。イケイケだったプロ元年当時とは、かなり様変わりしてきたJリーグ。そんな中で選手側は「大学卒業という資格の重要性」「即、プロで通用するかはわからない。だからこそ、4年間大学で鍛えあげたい」と考える選手も多くなり始め、高校生を含めたユース年代の選手の中に「大学進学」という選択肢が再び脚光を集め始めていく。

■大学サッカーが急成長した要因
21世紀に突入し、日本は少子化社会に進んでしまっているのだが、各大学にとって「学生確保」は死活問題に直結することもあり、新興大学だけではなく、歴史と伝統のある大学まで、新入生を増やすためにあの手この手と多彩なアイディアを出し続けている。たとえば、これまではひとくくりに「経済学部」といった学部も、今は詳細な分野に特化した「●●ビジネス学科」と言ったように、学生のニーズにピッタリ合う学科や学部を設立する大学が多くなっている。

そして、もっとも学生をてっとり早く集める手段として良く用いられるのが、「プロのトレーニング施設ですか?」と見間違えるかのような、立派な施設を導入し、スポーツの分野で名をあげることだ。

サッカーではないが、スポーツに特化して一気に名前を挙げたのが、箱根駅伝で強豪校となった山梨学院大学であろう。そして、サッカー界ではなんと言っても流通経済大学がそれにあてはまるはず。このように、いくつかの新興大学が、生き残りを賭ける中で、スポーツ分野に特化しだしたことにより競争が激化し、さらには伝統校にもその流れが波及して、大学スポーツ界の環境整備は一気に進化。今では、Jクラブの選手が「あのグランドやトレーニング施設はうらやましい」と語るほど、素晴らしい環境を備える学校が増えたのである。

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さらには、プロ創生期には「なんとかプロでもやれる?」という選手まで獲得していたJクラブ側も、近年ではシビアに選手を見定めるようになってきている。そんな中で、自前の下部組織で育った選手の中で、大学に「預ける」という流れがどんどん増えてきている。また、ユース組織の選手を大学に進学させるだけではなく、Jクラブ側の指導者を大学側に派遣して、交流を図るケースも増えつつある。

このような流れを受けて、今は完全に見直されつつある大学サッカー。

しかしだ、今の大学サッカー界の成長を支え続けた陰には、信念を持ち続け長年に渡って地道な指導を続けてきた名監督たちの存在も忘れてはならない。

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関東の地から遠く離れた四国という、場所的なハンディがありながらも、全国の強豪大学と対等にやりあえるまでに成長させた高知大学の野地照樹監督。戦術に特化したサッカーではなく、気持ちで戦うことを全面に押し出す駒澤大学の秋田浩一監督。ユニバーシアード3連覇に大いに貢献し、さらには永井謙佑を世界レベルに育て上げた福岡大学の乾 真寛監督。さらには、阪南大の須佐徹太郎監督や、明大サッカー部を復活させた神川昭彦監督など、数多くの名指導者が存在している。そしてもう一人、大学サッカー新世代を作り上げていく中で、絶対に欠かせない存在となったのが、流経大総監督の中野雄二さんであろう。

2007年の話になるが、流経大の中野総監督と大平コーチに、シーズン前に刈谷で行われたJFL合同セレクションの会場で遇ったことがある。その際に「なんで流経さんが来ているのですか?」と質問した際に、両氏はこのように答えてくれている。

「ここに来ている選手って、みんなプロとか一つでも高いカテゴリーでやりたいからここ来ている選手ばかりじゃないですか? でもね、テスト(セレクション)を受けに来ている選手の大半は18歳〜22歳ぐらいの選手ばかり。その年齢であれば、プロとか、JFLとかではなく、サッカー選手としてだけではなく、大学生として勉強しながらプレーしてもおかしくないと思うんですよ。

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ウチは、別にプロを養成するだけでサッカーをやっている訳ではない。当然、プロ選手も生み出していますが、ウチの部の部員のうち、プロになれない選手の方がほとんどです。でもね、ウチの部はサッカーしか知らない人間ではなく、しっかり勉強もさせて、サッカー人としてだけではなく社会人として通用する人間を育てているつもりです。

難波(宏明)のように、一度プロで夢やぶれてしまった選手でも、頑張ればやり直せるんですよ。だからこそ、そういった気持ちでやり直そうとする選手がいるかもしれないので、今日はこのセレクションを見に来たんですよ」

ただ単純に、才能がある選手を育てるだけではなく、一度はプロで挫折してしまった選手にまで目を向けていた中野監督や大平コーチ。そんな流れだが、今は中京大学が積極的に元Jリーガーだった若い選手を迎え入れるなど、大学のサッカーはこれまでとは違った役割も担おうとしているのだ。

このような「流れ」というものは、結果が全てのプロでは到底出来るわけがない。そして、信念と思いやりを兼ね備えた指導者が揃ったことに、抜群の育成環境を手にした大学サッカー界は、今や日本サッカー界に欠かせないカテゴリーに成長したと言えよう。

■問題点もあるのだが…
しかし、育成機関として進化する大学サッカー界の存在を、世界基準の流れからは逸脱していると考える人も少なくはない。

世界的に見れば、大学サッカーが育成において大事なカテゴリーになっていることは確かに異色である。強豪国では、大学は学位を取りに行く場所と考えられており、選手を育成する場所とは捉えられてはいない。また、選手はクラブで育てるものであるという考え方であり、選手はクラブを大きくする「大事な財産である」という考え方がスタンダードでもあるのだ。

ただ、ここでは進化する大学サッカーの話を扱っているので、Jクラブの育成方針や、問題になっているトレーニングコンペンセーション制度に関しては割愛させていただきます。なお、トレーニングコンペンセーション制度は今後、取り上げたいとも思っております。

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■まとめ
このように、日本サッカー界において、大きな役割を担うようになってきた大学サッカーであるが、賛否があることは確かであり、育成補償制度など、もっと考えていかなければいけない問題がある。しかしだ、その話は別として、日本という学歴文化がいまだに根強く残る国にとって、大学サッカーが進化していくことは決して悪いことではないと考えるのだ。

Jクラブとしても、本来なら選手を自前で育てたいのだが、サテライトリーグが事実上の廃止となった今、若い選手を育成、そして成長させる機会が乏しくなっている現状がある。大学側としても、少子化が進んでいくこの先、学校を維持していくためにも「起爆剤」が欲しいし、広報活動の一環として効果が見込めるスポーツには力を入れていきたい。だからこそ、才能のある選手を「我が校へ」という気持ちも強い。さらには、人生の中で現役として活動できる時間が短い選手たちにとって、大卒という資格があることは、第二の人生を生きていく上で大きな武器となるはず。

これら3者の思惑が絡み合い、成長を続ける大学サッカー界。世界の育成スタンダードからは、かけ離れているかも知れないが、別に世界と同じようにする必要もないし、その国の文化というか風土の上にこの形が熟成し出してきているのだから、私個人としては今の流れは悪いものではないと考えている。

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そんな中で、2大会優勝から遠ざかっていた日本チームだが、中野監督は昨シーズンから各地域の大会をまわり、選手をその目で確かめ、この大会に向けて準備を続けてきたのだが、メンバー的にもチーム的にも、自身が指揮を執る流経大をベースとしていたこともあり、「負けられない」というプレッシャーは何よりも強かったはず。しかし、そんなプレッシャーをはねのけ、見事に優勝した日本チーム、そして中野監督には心からおめでとうという言葉を捧げたい。

別にね、日本の育成年代のあり方が、世界スタンダードじゃなくてもいいじゃないか? と思うわけですよ。日本は日本の「らしさ」で進化していけばいいのだから…

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