« 2010年1月17日 - 2010年1月23日 | トップページ | 2010年3月14日 - 2010年3月20日 »

2010年1月24日 - 2010年1月30日

2010年1月30日 (土)

寺田武史、引退…

またそこからか…と思うほど、
遠い位置からクロスを上げてしまうテラ

ボールを持っても積極的に行かず、
またバックパスかよ…と観衆をイライラさせてしまうテラ

敷島での天皇杯で凡ミスして、
コラッ!と都倉に怒られてしまうテラ

何一ついいこと書いていないけど、
みんなからとても愛される選手だったテラ

実は毎年、しっかり成長を見せていたテラ

結局、ザスパの左サイドはヤツなんだよ…と言われるテラ

Img_5438

確かに、寺田武史は上手い選手ではない。ザスパに入っていなければ、プロになっていたかは微妙な選手でもある。だが、彼は2002年に入団してから、常に左サイドの主役であり続け、J2リーグ通算143試合出場3得点という記録を残した。華のある選手ではなく、大きく騒がれることなんて無かったが、地道なプレーでチームを支え続け、常にピッチを駆け回ったテラ。

2005年に小島伸幸が引退し、2006年に堺陽二、2007年に佐藤正美、2008年は鳥居塚伸人と、ザスパを支えてきた選手たちが毎年チームを去っていき、いつのまにか最古参となっていたテラ。こうして、県リーグや地域決勝を経験したメンバーが消えていく様を見ていくと、本当に「チームが変わったなあ」と実感すると同時に、テラには1年でも長く、ザスパでプレーしてほしいと願うようになっていった。

5221

しかし、2009年11月26日、残念ながら2009年シーズンをもって契約満了となることが発表され、ついにザスパ発足時のメンバーが誰もいなくなってしまったのだ。強くなるためには、チームは常に新陳代謝して行かなければダメなのは理解できる。しかし、頭でわかっていても、なかなかその現実を受け入れないものである。陽二が戦力外となった時と同じように、なんともいえない気持ちのまま、12月5日の最終戦を迎えた人も多かったであろう。

006

さて、テラだが、現役続行の意志を表明し、5日の最終戦から気持ちを切り替えて、12月9、10日に行われたトライアウトに参加。だが、移籍先はなかなか決まらず、1月に入って引退を決意。そして1月26日発表の移籍リストにおいて、引退の事実が確認された(ザスパオフィシャルHPでは未発表)。

今後は、指導者への道を進むことになるようだが、次のステージでもぜひ「走り続けて」欲しいかぎりである。

左サイドを駆け上がる姿を、この先も私たちは忘れることはないだろう。
ありがとう、寺田武史

2010年1月29日 (金)

流通経済大学サッカー部の挑戦

1週間前の話になりますが、関東大学リーグ1部に所属する流通経済大学が、同時参加しているJFLに、今年から完全別チーム編成となる「流通経済大学FC」で参加することを発表し、さらにこのチームで、Jリーグを目指す構想があることも表明した。

正直、なんで大学のチームがプロ(J)を目指すの?と思う人もいるかも知れません。

そもそもの発端は、JFL(日本フットボールリーグ)がこれまでは大学とJFLの二重登録を認めていたが、今年から認めないという決定したことから始まる。普通の大学なら、「だったら撤退するわ」と言ってもいいぐらいだけど、そこで「そうですか、だったら完全に別チームを作ります」と、言ってのけてしまう流経大。

いやはや、本当にスバラシイ!!

ここ数年の流経大の活躍は、目を見張るものがあります。関東大学リーグで優勝し、数多くのJリーガーを送り出し、2005年からはJFLにも参戦しており、J準会員チームとも互角の試合を展開するなど、その実力の高さは誰もが知るところ。さらに施設面の充実ぶりは、Jクラブですら羨望の眼差しである。専用移動バスに、サッカー部マンション、人工芝2面+クラブハウスを備えた「流通経済大学フットボールフィールド」、室内練習場に、夜間照明に観客席まで完備したグランウド(人工芝)まで揃っているのだから。

Img_5458

環境も日本のトップレベルであり、おまけにチームも強い。そうなれば、中野雄二監督の「Jリーグ参加構想」にも納得がいくのだが、「強さ」だけではない、流経大の素晴らしさがあるので、ぜひその点も知って欲しいので、軽く下記もご覧ください。

---------------------------------------------

JFLの取材で中野雄二監督、大平正軌コーチと何度かお会いして、いろいろ話を伺っていますが、この大学(というかチーム)こそ、初代Jリーグチェアマンだった川淵三郎が理想として語った、「Jリーグ百年構想」に最も近づこうとしているチームなのでは?と感じているのだ。

流経大サッカー部は、大学日本一を目指すだけではなく、様々な場で活躍できる人材を育成していくことにも力を注いでいる。実際に審判活動・コーチ活動といった、茨城県内のサッカー普及にも尽力し、さらに地元竜ヶ崎の地域活動にも積極的に参加するなど、大学のサッカー部という枠を超え、地元に根付いた「総合スポーツクラブ」として活動の広がりを見せていることをご存じだろうか?

Img_2046

Jリーグ百年構想の中には「サッカーを核に様々なスポーツクラブを多角的に運営し、アスリートから生涯学習にいたるまであなたが今やりたいスポーツを楽しめる環境作りを目指す」、「スポーツを通して様々な世代の人たちが触れ合える場を提供する」などと記されているが、これこそ、流経大が目指そうとしているもの、そのものと言える。中野監督や、大平コーチも、ただ優秀な選手を育成するだけではなく、流経大サッカー部という組織が、大学のいちサッカー部ではなく、多くの人に夢と感動を与える、スポーツコミュニティとして成長していくことを常に願っているのだ。

さて、流経大がこれまで行ってきた地域活動に対して、地元竜ヶ崎では共感を呼び、2008年には「街の応援団」が結成され、試合運営サポートや応援活動で流経大を支える動きが始まっている。このような「相互活動」が徐々に活発化しだすことで、竜ヶ崎に新しい「スポーツ文化」が芽生えようとしている。

_8108510

百年構想をめざすのは、何もJクラブだけの役割ではない。
この流通経済大学サッカー部だって、立派な「百年構想」の中の主役の一人と言っても間違いないだろう。

---------------------------------------------

さて、話を将来的構想に戻しますが、これまでの流経大は「選手の公式戦出場機会確保とチーム力の底上げ」を目的として、2005年からJFLに参加していたが、上でも記した今回のリーグ規約改定により新しく「流通経済大学FC」を結成することを表明している。さらに、このチームで将来的にJリーグ入りも目指したいとコメント。

しかし、Jリーグを目指すには、チームを法人化する必要もあるし、ホームタウンとの密な連携も必要だし、集客面やスタジアム整備など、山のように解決しなければならない課題がある。これに対して中野監督は「超えるべきハードルはいくつもあるが、じっくり時間をかけてやっていきたい」と語っている。その中で、まずはコンスタンスに4位以内(J2昇格条件)をキープできるチームを作ることが、最初の目標となっていくそうだ。

どんなチームでも、まず強くなければどうにもならない。強くならなければ、応援する人も増えないし、支援の輪も増えては行かないのだから…

果たして、通経済大学が日本で初の大学チームを母体としたJクラブとなれるのか? 中野監督の「構想」が実現するのに何年かかるかわからないが、この画期的かつ、勇気ある挑戦を表明したことを賞賛したいと思う。

長い道のりになりそうだが、私もこの挑戦にこれからも注目していきたい。

余談ですが、大学チームを母体として「J」を目指そうとしているチームの「先輩」として、早稲田ユナイテッドというチームがあるのをご存じですが?

2010年1月27日 (水)

ザスパ草津U-23、群馬県リーグ参加へ

昨年12月14日に行われたJリーグ理事会において、Jサテライトリーグの廃止が決定されたため、今年からザスパ草津U-23の「公式戦」はどうなるのか?と心配されていたが、23日、植木GMがこれについて回答を示し、群馬県リーグへ参加することを表明した。それと同時に、昨年は破談となってしまった、甲府や大宮だけではなく近郊大学を交えた教育リーグ構想を、今年こそ実現させたいとコメント。こちらはあくまでも相手の承諾が必要だが、試合数減の補填となるよう、なんとか交渉がまとまることを期待したい。

※Jリーグからの公式発表に関してはいまだにされてはいないが、コチラですでに報道されています

さて、県リーグの参加カテゴリーだが、今のところ4部からのスタートなのか、それとも2部からやらせてもらえるのかは、まだ不明で、協会の回答待ちの状態である。また、今年から県協会所属チームとなるので、天皇杯予選への参加が可能となり、チームとしては本大会出場が大きな目標となってくる。オープン大会故に、カテゴリーの違う相手との対戦があり、勝ち上がっていけば関東リーグ1部のtonan前橋や、JFLのアルテ高崎と、真剣勝負の場で対戦ができる。さらに本大会出場となれば、サテライトリーグ以上に経験を積めることとなる。自分たちの努力と頑張り次第で、今年はJクラブと「真剣勝負」できる機会を得られるのだから。

ところで、サテライトリーグ廃止となった今、活動は県リーグへ舞台を移していくこととなるが、この決定こそ、U-23の木村直樹コーチが一番待ち望んでいたものだった。木村コーチは、以前からこのチームをこのままサテライトリーグで戦わせるよりも、4部でもいいから県リーグに参加させ、一つずつカテゴリーを上げていき、最終的にJFLを目指した方がいいと考えていた。

Img_0279

U-23に関しては、高校や大学にスカウティングは行ってはおらず、セレクションのみが選手獲得の機会となっている。しかし、過去のチャレンジャーズチームやU-23単独セレクションでは、優秀な人材が集まりにくいという問題も抱えていた。では、なぜセレクションにいい人材が集まらないかと言われれば、その答えは簡単。チャレンジャーズやU-23がこれまでにさしたる「実績」を残せていないからである。昨年こそ、有薗真吾が終盤にレギュラーとして活躍し、下部組織出身として初めて来季の契約を結べたが、前年まで契約者はゼロであった(新卒入団の後藤涼、櫻田和樹は除く)。

Pc110656

テストを受ける選手は、(Jリーグで)プロでやりたいという意識を当然持っている。では、Jクラブ選考で落ちてしまったら、次はどこを選ぶかと考えたとき、2つパターンがある。一つは日本の3部リーグであるJFLのクラブ加入を目指すこと。レベルも高く、全国リーグであるJFL。Jクラブ側もこのリーグで活躍する若手を常にスカウティングしており、Jに入れなくとも、ここで活躍すれば将来の道が開ける可能性は大である。二つ目は、地域リーグレベルでJリーグを目指すチームに加入することだ。ただ、このクラブに加入した場合は、実力でJリーグへの道を切り開いていくこととなる。

さてU-23だが、このチームはJFL所属クラブでなければ、Jを目指す地域リーグのクラブでもない。県リーグにも所属しておらず、実戦の機会はサテライトリーグの年6〜10試合しかなかった。さらに、これまでトップチームでJの公式戦に出た選手こそいるが、来季の契約を結べた選手はいなかった。(あくまでも2008年までの話)さすがに、こんな状況では、選手側が「優先してテスト受けたい」と思うようなチームでないことは想像できるだろう(それも一因となり、昨年からU-23単独セレクションは廃止となり、トップ・U-23合同セレクションとなった)

そして、その現状を一番苦々しく感じていた人こそ、木村コーチ自身だった。

2007年から、チャレンジャーズチームという名称をU-23と変更し、監督のポジションを廃止。それに伴い、U-23は実質的に木村コーチが指導する体制に変更された。また、選手の契約(というか挑戦期間)はこれまでの「原則1年」という項目が無くなり、高卒(もしくは21歳以下)の若手を多く獲得して、複数年かけて選手を育成していくスタイルが導入された。
(※ザスパ草津の下部組織であることをアピールするために、この名称に変更。なお、U-23という名称だが、実際には23歳以上でも在籍は可能。さらに伸びる素質があると見込まれた選手は複数年在籍も可能)

だが、U-23として再スタートを切った2007年は、これと言った若手選手はテスト会場に訪れず、メンバー構成に大いに苦しむこととなる。明らかに前2年と比べてレベルダウンしてしまったU-23。植木GMからの「高卒年代を中心に」という要望が、逆に厳しい事態を招いてしまったのだ。大卒選手であれば、進路が決まっていなければ、どんなチームでもいいからチャンスをつかめる場所(チーム)を求めるが、さすがに高卒年代ではそこまで必死にはならない。また、ガンバ大阪ユースや、浦和ユースのように、トップチームどころか、日本代表選手まで輩出しているチームであれば、黙っていても選手の方から「あのチームのテストを受けたい」と思うだろう。だが、なんの実績もなく、今のカテゴリーがはっきりしないU-23では、「入りたい」どころか「テストを受けたい」と思う高校生は皆無に近かった。

Img_5314

だからこそ、木村コーチはこのチームに明確な「立ち位置(カテゴリー)」が欲しかった。もし、U-23が県リーグで戦っていても、若い選手たちに「実力次第でトップにも上がれるし、自分たちの力でこのチーム(U-23)をJFLまで上げることが出来る」と伝えることが出来る。植木GMがその活躍を見ていなくても、所属カテゴリーを上げていくことで、別のチームの関係者の目にとまることがあるかも知れない。また、FC岐阜secondのように、一つ一つカテゴリーを上げて行くことで、継続的な指導やチーム作りが可能となり、さらには自然と高いレベルの選手が入ってくるようになる。そして、本当にトップに選手を供給していく育成機関としての役割を果たせるようになると考えていたのだ。

話は長くなってしまったが、チームはやっと木村コーチが目指したかった「形」になれたのである。

相手のモチベーションの低いサテライトリーグで戦うより、全ての面で「上を目指す」こととなる、県リーグ参加の方がチームのため、選手のためにいいに決まっている。こうなったからには、どのカテゴリーで始まったとしても、最短でのJFL昇格を目指して欲しいものだ。

ただ、一つだけ不安なのが、この先もザスパの経営状況が今と変わらないままで推移したとして、将来的にU-23が全国リーグ(JFL.)なんかに参戦してしまった場合、運営費が出せるのか?という点だ。まあ、そうなったときには嬉しい悩みだから、今は考えないこととしよう。

とりあえず木村コーチ、あとはあなたの指導にかかっていますからね!

Img_2146

余談ですが、今、成田憲昭、星野崇史、杉本裕之の3人はトップチームの練習に参加中で、キャンプに参加出来るよう、サンデングラウンドで副島監督にアピールを続けています。ぜひ、機会があれば応援してあげてください。

« 2010年1月17日 - 2010年1月23日 | トップページ | 2010年3月14日 - 2010年3月20日 »