« 2009年12月6日 - 2009年12月12日 | トップページ | 2009年12月20日 - 2009年12月26日 »

2009年12月13日 - 2009年12月19日

2009年12月18日 (金)

さよならバドゥ

松本山雅がJFL昇格で知名度を増すなか、ライバルであったAC長野パルセイロは今月の16日、2006年から監督を務めたバルディエール・バドゥ・ビエイラ氏との契約満了を発表した。

勝負の世界は厳しいものである。4年連続で(JFL)昇格失敗したとあれば、プロ監督として退任となっても致し方ないところ。だがバドゥ自身は全社準決勝で敗れたあと、このように発言している。

「来年のことは私にはわからない。フロントが決断することだが、自分としてはもう1年このチームを見たいと思っている。私はこれまでに、いくつかの国の代表監督を務めたが、小さなクラブを将来プロリーグへ昇格させるという仕事に興味を持って(日本に)やって来た。そしてその思いは今も変わらないんだ…」

と言ったあとに、こんなグチも…(笑)

「私のチームには『柿本』のようなスーパーな選手がいなかった。このクラブにそんな選手がいれば…」とも。

Img_3921

10月20日の試合終了時点では、続投できれば「したかった」バドゥ。これまで代表監督や中東クラブの監督業で、年俸5000万円以上貰っていた男は、金額うんぬんではなく「情熱」のためだけで日本にやってきた。そして「長野」という土地を選び、そこでクラブを成長させ、地域にサッカー文化を根付かせることを、サッカーに捧げた自身の人生最後の仕事として…。

2006年6月、あの「ジョホールバル」で日本代表と戦った人が監督となるなんて、正直驚かされた。それもJリーグでもJFLでもない、地域リーグのクラブである。そんな「大物」が日本の4部にあたるクラブの監督をするなんて、考えられもしなかったこともあり、当時長野エルザ(現パルセイロ)は「もの凄い補強をした」と感じたものだった。

P7230144

 

しかし、2006年は3位、2007年は2位と2年連続で北信越リーグ優勝を逃し、JFL昇格に失敗。そして3年目はこれまで反省を活かし、守備の要となる、ベテランの丸山良明を補強。バドゥ自身、日本3年目で環境や地域リーグの特性にも慣れ、メンバー的にも過去最強となったパルセイロは、バドゥ政権下で「初」のタイトルを獲得(北信越リーグ優勝)。そして10月に行われた全国社会人大会でも優勝し、この年のJFL昇格最有力チームと目されることとなる。

だが、11月末に北九州で行われた地域リーグ決勝大会・1次ラウンド最終戦で、バンディオンセ加古川にまさかの逆転負けを喫して、3年連続JFL昇格に失敗。さすがにこの敗戦はパルセイロに大きな衝撃を与えることとなり、メーンスポンサーだった「AOKI」の支援はこの年で終了し、プロ契約だった貞富、丸山良明はチームの金銭的事情から退団となってしまう。だが、バドゥ自身の「やる気」は衰えることなく、2009年もパルセイロの指揮官として契約を結んだ。

そして今年だが、もうご存じの通りリーグは2位、全社でも準決勝敗退で4年連続JFL昇格失敗となり、彼の長野でのチャレンジは終焉を迎えた。

正直、JFL昇格を決めた松本山雅と戦力比較してみても、パルセイロの戦力劣っているとは到底思えない。逆にどちらが「いいサッカー」をしているか?と言われれば、私はパルセイロと答えます(山雅サポには失礼ですが)。そう、目指すサッカーの質の高さだけを問えば、毎年パルセイロのやや上と感じるのです。ポゼッションを高め、見る人に楽しさを与え、そして強さも感じさせるサッカーを目指していたパルセイロ。それに対して、山雅や金沢のサッカーは基本、堅守速攻であった。

理想を追いつつ、さらに昇格を目指したバドゥ。理想を途中で捨て、現実的に勝てるサッカーを追求した吉澤監督。

Img_3522

厳しい言い方だが、3年目で昇格出来なかった時に、バドゥと決別しなかったフロントの判断が誤りであったと言わざる得ない。最後まで理想を追い求め、美しいサッカーに殉じたバドゥ・パルセイロ。いいサッカーをすれば勝てるという信念のもと、チームを強化してきたが、結果的に最後の最後で「勝つサッカーとは?」をしっかりチームに植え付けた「吉澤山雅」の前に敗れ去ったのである。

ついにチームを去ることとなったバドゥ。
確かに彼は「勝者」になれなかった。
しかし、彼が過ごした4年間は決してムダではなかった。

長野の街に「サッカーのおもしろさ」を伝え、常に子供たちやサポーターに笑顔で接したバドゥ。結果こそ残せなかったものの、偉大な指導者がこの街のクラブを指揮したことを、サポーターはいつまでも忘れないで欲しい。

Img_4081

4年間本当にありがとう、バルディエール・バドゥ・ビエイラ
そして来年、日本のどこかで再会したいものだ…

2009年12月13日 (日)

ツエーゲン先勝! JFL入替戦・1stレグ結果

JFL入替戦 1stレグ@津幡運動公園陸上競技場
観衆:2276人
ツエーゲン金沢 1-0 FC刈谷 
【得点】51分古部(金沢)

スタメン
【金沢(4-1-4-1)】
GK木寺(1)、DF根本(18)、諸江(3)、込山(14)、ビジュ(8)、MF三原(20)、園田(24)、広庭(15)、山道(26)、古部(19)、FWクリゾン(11)

【刈谷(4-3-3) 】
GK山本(1)、DF斉藤(2)、石川(8)、庄司(23) 、篠川(25)、MF西原(19)、日下(10)、高橋(22)、FW中山(11)、姜(20)、大石(27)

【警告】
金沢:46分ビジュ、65分広庭、85分???
刈谷:48分斉藤、73分庄司、82分中山

【交代】
金沢:53分ビジュ→斉藤(金沢)、76分広庭→秋田
刈谷:64分姜→森山、84分庄司→アマラオ

というのが試合の情報です。

さて、簡単に試合を振り返りますが、立ち上がりの5分、金沢はCKを得るも得点は奪えず、最初のチャンスを逃してしまう。そしてその後は、徐々に刈谷のパスが回り出し、金沢は早くも守勢に回ることとなる。金沢も根本、園田の攻撃参加でなんとか刈谷ゴールに迫るが、いかんせん単発の攻撃に終始してしまう。

金沢としてはイヤな流れに傾きだし、なかなかペースを奪え返せない。攻勢を強める刈谷は24分、34分と立て続けにビッグチャンスを作り出すも、金沢のベテランGK木寺のファインセーブで得点を奪えない。結局、刈谷はペースを握りつつも決定力を欠き、前半をスコアレスで折り返すこととなる。

前半の金沢に目を向けると、まるで地域決勝(決勝ラウンド)を「再生」したかのような、チグハグな展開に終始。ただ、地域決勝と違う点は、「園田」という個の力が入ったことで、チャンスを生み出すシーンは増えていたことだが、結局はセットプレー頼みという点は解消されてはいなかった。

両者ともども「課題」を抱えたまま後半に突入するが、やはり試合はキックオフから刈谷ペース。後半も攻める刈谷、耐える金沢という展開かと思われた51分、金沢がCKのチャンスを得ると、中央でフリーになっていた古部が右足で合わせ、金沢がついに均衡を破る。

ガッチリ守って、セットプレーから一撃必殺へ…

これこそ金沢が思い描いていた理想の展開だったかも知れない。

こうなると、刈谷もなんとか同点に追いつくために、さらに攻勢の手を強める。ラスト10分に差し掛かろうとするときに、ついに「キング」が登場。43歳のアマラオ登場だ。

一気に声援のヴォルテージがあがる刈谷サポ。
交代出場のアマラオにボールが渡り、シュートを放つもゴールマウスをとらえることが出来ない。ロスタイムを含め、最後の5分間は、金沢ゴールに猛攻を見せるも、ついに刈谷は最後まで得点を奪えなかった。

入れ替え戦1stレグは、結局1-0で金沢の勝利で終わり、19日の「刈谷決戦」を残すだけとなった。

とりあえず、今日は金沢が勝利したが、まだ「前半戦」を終えただけの状態であり、そして得点差もわずか「1」と、2ndレグがどうなるかまだ予想がつかない状況である。しかし、最初の対戦を終えて見えてきた感想は、正直「どっちもどっち」な試合でもあった。

園田というピースが加わったことで1+1が2ではなく、4にも10にもなるのかと思われた金沢だが、結局は「2」にしかならなかった金沢。ただ、刈谷守備陣に「園田」という危険な攻撃のコマがある。とだけ見せつけたことだけが、良かった点ではなかったか…。

そして刈谷は試合を通して「落ち着き」は見えたものの、決定力の「なさ」はいかんともし難いところだった。

さて2ndレグの予想だが、刈谷が先制点を奪えれば、勢いでそのまま刈谷が「行けそう」な感じであるが、1stのように攻めあぐねる時間が長引けば、堅守を誇った金沢に、そのまま逃げ切られてしまう可能性もある。「前半戦」を終えた時点で一応、金沢の「1点リード」だが、正直どちらが優勢か?と言われると甲乙付けがたい状況。

本当に予測がつかない2ndレグは、金沢守備陣の踏ん張りが、大きな鍵を握るはずだ。

戦術くん! ベガルタ仙台がベスト4だよ!

天皇杯準々決勝 @ユアテックスタジアム
ベガルタ仙台 2-1 川崎フロンターレ

7年ぶりのJ1昇格を決め、天皇杯では2試合連続でJ1勢を撃破し、さらには最終節ではJ2優勝まで飾った仙台。チームの雰囲気は最高潮、そして会場も「ホーム」ユアスタと、言うことナシの状態で天皇杯準々決勝を迎えた。

177

試合内容に関しては、立ち上がりはやや川崎が慎重気味だったことも影響したか、両者五分五分の展開で試合は進む。しかし、予想外だったのは仙台のシステムである。千葉とコンビを組む冨田が負傷のため急遽田村がスタメンへ。それと同時に不動のシステムであった4-4-2からこの日は4-3-3の形でスタート。このシステム変更がどう出るか不安だったが、冨田の代役として出場した田村が鋭いチェックを見せ、川崎になかなか攻撃のスキを与えない。川崎がなかなか攻略の糸口を見いだせない中で、仙台は35分、関口のチャンスメークから最後は中島が決めて先制点を奪う。

070

前半はこのまま1-0で折り返したが、後半に入ると川崎攻撃陣が仙台ゴールに牙をむき出す。前半とは打って変わった川崎ペースで試合が進み、前半のようにリャンや関口にボールが回らない仙台。こうなるとゴール前に「人垣」を作って川崎の攻撃を凌ぐだけになってしまう。決してスマートな戦い方ではなかったが、「ホーム」の大歓声が仙台に見えない力を与えていたのかも知れない。攻めどもせめども川崎はどうしてもゴールが奪えない。そして試合はロスタイムだけとなり、このまま仙台の勝利かと思ったが、最後の最後で元仙台の村上和弘が起死回生のミドルを叩き込み、試合は振り出しに戻り、延長戦に突入する。

171

正直、これが中立地や川崎のホームで試合をしていれば、試合の流れは完全に川崎にあったかもしれない。だがここは仙台の「ホーム」であるユアスタだ。「黄色」に埋め尽くされたスタジアムが、川崎にプレッシャーを与え続ける。後半よりも勢いを取り戻した仙台は、再びイーブンのペースにまで挽回し、そして関口が再び突破口を見いだすことに。108分、関口の作ったチャンスから、最後は平瀬が頭で合わせて仙台がついに川崎を突き放す。そして最後は11人全員が、体を張った守備を見せ、なんとかこのまま2-1で逃げ切り、初のベスト4進出を決めた。

229

とりあえず試合はこんな感じでした。

正直、J2の仲間がここまで戦えるんだ…と少し感動。そしてやはり「仙台」という会場は、天皇杯ではドラマを起こす会場なんだなあ…と実感。2004年の草津、2007年のHonda(結局最後は延長で負けましたが)、そして今回の仙台。天皇杯のおもしろさはやはり、格上を下すシーン。さらに今回は仙台のJ1昇格決定という「追い風」もあったことで、最初からスタジアムの雰囲気は最高だった。

192

で、試合後に、ふとこんなことを思った。

「戦術くん、仙台がついにベスト4だよ!」と…

戦術くんとは、ベガルタ仙台の伝説的サポーターであり、すでに7年前の2002年10月22日に34歳で亡くなっている。当初は「イロモノ」「キ●ガイ」、「迷惑」と思われていた戦術くんだが、誰よりも仙台というチームに命をかけ、愛情を注いでいた姿に周囲は彼を認め、いつしか仙台を代表する名物サポーターとなっていった。そして今年の10月21日、草津戦ということでユアスタまで足を運んだが、その時がちょうど故人を偲ぶ試合であり、試合後は千葉とベガッ太の2人があの「戦術ボード」を持ってピッチで記念撮影をしていた。実は私はあの「ボード」を生で見たことがない。この日掲げられたボードは「レプリカ」でしかないが、彼の思いの詰まったボードを見て、なんと言っていいのかわからないが、なんか「いい光景だなあ…」と思ってしまったのだ。

143

戦術くんが愛したベガルタ仙台。かつては暗黒時代を経験したものの、ついにその闇を突き抜けJ1復帰を決め、さらに天皇杯では快進撃中…。
戦術くん、これからも仙台を見守ってくれ! と、他サポでありながらも、そう思ってしまう瞬間を迎え、「ああ、やっぱり仙台にきて良かった」と感じるのだった。

« 2009年12月6日 - 2009年12月12日 | トップページ | 2009年12月20日 - 2009年12月26日 »