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2009年11月29日 - 2009年12月5日

2009年12月 5日 (土)

佐野ザスパ、最終章

今日、12月5日が佐野達監督との「別れの日」となる…

チャレンジャーズチーム(現ザスパ草津U-23)の監督して、草津町にやってきてから5年が経った。2年間チャレンジャーズの監督として、無名の若手選手と向き合い、2007年からトップチームのコーチに就任し、5年目の今年は大きな期待を寄せる中で監督に就任した。

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日産自動車時代には日本代表にも選ばれるほどのエリート選手であった佐野さんが、草津町に来たのは驚きだった。正直、サッカー人生で「表街道」を歩んできた人が、雑草の集まるこのチームに馴染めるのか? そして本当に草津でやっていけるのか? という疑問があったのは事実。

しかし佐野さんはそんな疑問に対して、いい意味で大きく裏切ってくれた。草津町に誰よりも馴染もうとする姿勢をみせ、町の人は初代監督・奥野僚右の姿をダブらせたのだ。そして何よりも、元日本代表選手のプライドを捨て、無名選手と同じ目線で向き合い、エリートらしからぬ「熱血指導」を展開してくれた。

雪の積もる中でチャレンジャーズチームは始動。佐野のサッカー人生の中でこんな経験は、当然初めてだった。雪解けの時期を迎えると今度はグラウンドの石拾いから始まり、軽トラックを自ら運転してグラウンド整備を行い、時には錆びたゴールの塗装すら自分で行っていた。

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そして5月15日、ひたちなかで行われたチャレンジャーズチーム・デビュー戦(vs 鹿島)で、雑草集団は驚きのパフォーマンスを見せ(試合は1-1のドロー)、当時低迷していたトップチームの状況に対して、サポーターは「チームの明るい光」をチャレンジャーズチームに見いだしたのである。それと同時に、指導者佐野達の力を改めて「侮れない存在だ」ということを印象づけた。

このあと、チャレンジャーズチームは、好調を維持し続け、柳澤宏太(現tonan前橋)、後藤涼、杉山琢也(現アルテ高崎)が7月にトップチーム昇格を果たし、その後に櫻田和樹、佐藤大典(現長野パルセイロ)、樋口知行(引退)もトップデビューを飾り、1年目は6人のJリーガーを育て上げた。(※テスト入団は杉山、佐藤、樋口の3名だけ)

順調に草津での指導者人生をスタートさせ、2007年にはついにS級指導者の資格を獲得。この当時から「植木後継は佐野さんで決まり」が公然の事実になり、多くのサポーターもそれを望んでいた。「ザスパ」という特殊なチーム事情を2年間、草津町で学び、コーチとして2年間植木体制を支え、満を持して2009年からトップチームの監督に就任。

正直、私自身も大きく期待した一人である。やはり草津町での2年間を密着して見続けてきたこともあり、指導者としての力量だけではなく、「人間・佐野達」に大きな魅力を感じていることが影響していた。

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佐野ザスパは開幕戦である熊本戦に勝利すると、それを皮切りに3連勝というかつてない最高のスタートを切る。誰もが新監督が目指す、全員攻撃・全員守備の「トータルフットボール」に明るい未来を感じたはず「だった」。だがその3連勝は「本物」ではなかったのだ。勝つには勝ったが、どれも1点差まで追い上げられる苦しい展開で、途中までは良かったが最後はやや後味が悪くなるような試合でもあった。そしてその不安が的中し、4節以降は負けが先行して第1クールは結局6勝2分9敗の負け越しで終わってしまう。

夏場の最も苦しい時期となった第2クールはなんとか5勝7分5敗と五分の成績で乗り切ったものの、交代カードの切り方のまずさや、固定しすぎた選手起用が問題となる。勝てる試合を何度もドローにしてしまったり、ここ一番で勝てないことが、徐々にチームの雰囲気を悪くし、ついには監督と選手の間に亀裂が生じてしまう。「J1昇格」を合い言葉にスタートしたチームだったが、一度芽生えてしまった不信感は簡単には修復出来なかった。そんな最悪な状態のまま、最終第3クールに突入するが、ここでの結果が「佐野解任」のきっかけとなってしまった。

8月23日の愛媛FC戦から最終の第3クールに突入したが、この試合を含めて5試合で1分4敗。さらに熊本戦では屈辱の6失点を喫し、この試合が「解任」への直接的要因になってしまった。しかし不思議なもので、この大敗以降、何かが吹っ切れたのかチームは徐々に立て直しが進む。だがそれは、佐野が意図を持ってチームを立て直したのではなく、選手が開き直って戦った結果であったのだ。2002年のワールドカップでの日本代表と同じである。ベルギー戦を戦い終えた後に宮本と松田は、「トルシエのラインコントロールを指示通りにやっても守りきれない」と判断し、次の試合以降、自分たちのやりやすいように変更したのと…。

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監督として初めて挑んだシーズンは苦い結果で終わった。「トータルフットボール」という高い理想は、完成すれば魅力的なサッカーになったはずだが、それはやはり難しいものだった。限られた「コマ」しか持っていないザスパにとり、植木GMほどとは言わないが、もっと早い時点で「現実路線」に転換すべきではなかっただろうか?

ただ監督とは孤独であり、難しい職業である。
勝てば名監督。負ければ無能。

結果を出せなければまず、責任を取らされるのは監督である。特に今年は監督の「独自色」が強かったこともあり、一部選手との意思疎通が悪かったことは否定できない。まあ、植木監督であればもう少し違った形や結果になったかもしれないが…

だが、佐野さんらしいし、植木さんでは「やらなかっただろうな…」と思うのが、U-23から今やザスパ最終ラインの不動のレギュラーに定着した有薗慎吾の抜擢である。ザスパには「草津」を知る選手が活躍しないとダメなんだ…と言っていた佐野さんが、最後に育て上げた選手。そしてチャレンジャーズ時代を合わせて、初めて下部組織昇格組から翌年の契約を勝ち取った選手第1号となった有薗。木村直樹(U-23コーチ)、堺陽二(トップチームAC)と続く、新しい「草津の象徴」を置きみやげに、今日、佐野達は最後の試合に挑む。

正直、この1年間は進歩ではなく、迷走に終わってしまったかも知れないが、有薗や穣(佐藤)を辛抱強く使い、来年以降「計算できるコマ」としたことは、チームにとって大きな財産となったはずである。

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最後に佐野さんへこの一言を。
「佐野達、5年間ありがとう…」

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